ブログ

手紙の消息

平民さんの「手紙」。 手紙(「平民新聞」2010-12-31) 白い紙に手書きの黒い文字が並んでいる、ただそれだけで素敵だ。暗闇に咲き乱れる夜顔、暗闇に千切れ舞う手紙、青空をバックに風に乗った追伸の手紙の写真もイイ。綱渡りするように綴られる感謝と愛の…

置いてけぼりの大逆転

「置いてけぼり」っていいな。浮き足立って無闇に前進しようとしたってねえ。戻っておいでよ、今ここ、に、ね。 夜中に ぽつんと起きていますと 世界にひとりぼっちのように思えて とても淋しく 何かを 始めなければ。 ほんとうに 置いてけぼりのようで。だ…

私が選んだ秋の二首

ところでホンマに秋なんか来るんかネェ。(南無さん) 私は秋に向かって更に加速する。(sakehamachiさん) そちらほどではありませんが、札幌も例年にくらべかなり蒸し暑い日が続いています。毎朝、汗をかきに行く覚悟で散歩に出ては、嘘ではなく優に1リッ…

未来

カカさんの「語り」は三カ月ぶり。「DearDiary」に籠められた未来に対する思いの深さに感じ入る。 DearDiary(「裏庭日記」2010-07-03) ヘイミンさんは素知らぬ顔で二カ月以上先の未来の日記を付け続けている。 「平民新聞」 ナムさんが「未来は現在にしか…

De tuin van MAJAからのメッセージ

De tuin van MAJA なぜか、オランダ語で「マヤの庭(De tuin van MAJA)」と題したAmebaのブログをやってらっしゃるマヤさんが、とても懐かしい、私が生物学科の学生だった頃を色々と思い出させてくれる写真と話題に言寄せて、「爺」にアイデンティファイし…

七草の日に

はからずも、今日、七草の日に、昨年暮れにお邪魔してお世話になった、山口県は周防大島の南に一粒の涙のように浮ぶ沖家室島で民宿「鯛の里」を営む松本昭司さんと、毎年豪雪に見舞われる富山に根を下ろして生きる南無さんから、ほぼ同時にブログ便りがあっ…

仁義

藤原新也と姜信子が書くものには抜き身のような裸の人間としての「仁義」を感じるから好きだ。そこまでそんなふうに書いて大丈夫、と思わず心配してしまう自分の立っている地平の向こうを彼らは歩いている。しかも、書かれたものに留まってはいない。彼らに…

男の子のいる風景

ライク・ア・チュウボウイ(「裏庭日記」2009-11-28) ひとりの男の子がみるみる成長していく微笑ましい過程と彼と共にある家族の何気ない日常の記録に、ひとり息子がどんどん自分の手を離れて行くちょっと切ない母親としての心情やいずれはひとりになるかも…

誤配愉快

[ かねがね書くことの根は日記と手紙にあると思ってきた。そしてこのような公開を前提とした日記や手紙のようなエントリーを連ねるブログの場合、狙った相手には必ずしも届かずに、思わぬ人に届いたりするところがまたとても面白いと感じてきた。先日、手紙…

南無さんのブロガー脱皮論の地平

「太平洋イルカクルーズ」を読む(『南無の日記』2009-10-03) から マージナル・ソルジャーを超えてゆくもの−1(『砕かれた街』2009-10-03) に飛んだ。 図らずも、南無さんによる「ブロガー脱皮論」の核心に触れることになった。大変面白かった。 後者で…

すれ違い

夕方、「めんこいねえのおばあさん」こと帆足(ほあし)さんのご主人から電話があった。カミさんが取り次いだ。何事か、とちょっと不安が脳裏をよぎったが、用件を聞いて安堵した。今朝もいつものように私が花の写真を撮りに来るのを、写真のお礼の野菜を用…

記号

ときどき、自分も所詮一個の<記号>みたいなもんだという思いにとらわれる。色んな場所で変な流通の仕方をする記号。思いがけない交換に晒されることもある記号。貨幣にはなれない中途半端で出来の悪い記号。悪貨か。実名か匿名かはほとんど関係ない。それ…

理想と現実

下川さん(http://d.hatena.ne.jp/elmikamino/20090829#c1252040965)、もう一歩踏み込んでほしかったなあ。大事な話なので、こちらで応答します。ぼくの理想のひとつは、ブログに書かせてもらった近隣のおじいさん、おばあさんたちとブログを話のネタにから…

愉快な火曜日の夜の暴言:欲望の編集

自分がこうして書いたり、あるいは、書かれたものを読む空間というか場に関しては、こうしてブログを本格的に続けるようになる以前と以降では、ずいぶんと大きな変化があったような気がする。何が根本的に変わったのだろうかと自問してみた。何よりもまず本…

憂鬱な月曜日の朝のゴーマンな独り言

いままでの自分を他人のごとく突き放して、どこまで見切ることができるか。そして新しい地平に抜けることができるか。カッコつけて言えば、そういうことが賭けられていると薄々感じています。少し前まで自分がいた、そして了解していると思っていたはずの現…

言葉の力

このエントリーをアップしようとしたら、またまた恐ろしいタイミングで、下川さん(id:Emmaus)からコメントが入りました(http://d.hatena.ne.jp/elmikamino/20090829/p1#c1251552305)。下川さん、本質的には応答にもなるのではないかと思うので、このエン…

予感

ブログは複雑である。ブログの様相は見方によって大きく変化する。それにつれて心も大きく揺れる。私は一方では、ブログを「宛先のない公開お手紙」と穏やかに呼んできた。だが他方では、ブログを「出版(の最終形態)」、「作品」、「ライフワーク」とやや…

ブログを貶(おとし)めないために

最近の一連のやりとりの中で、「たががブログ、されどブログ」と書いたら、下川さん(id:Emmaus)には「ブログさえもったいない」と返され、中山さん(id:taknakayama)には「ブログには書けないことが多い」と返された。また、私がいわば「個人主義的かつ内…

覚悟

中山さん(id:taknakayama)、下川さん(id:Emmaus)、真摯な応答に感謝します。嬉しいです。「誤読」やすれ違いこそコミュニケーションの神髄だと改めて痛感しました。なるほど、ぼくはある意味で急いています。自覚しています。この現状に不満であり、残さ…

書きたいことが書けない理由は何か

コメント欄での中山さん(id:taknakayama)とのやりとりの中で、「ブログでは書きたいことが書けない」という中山さんの葛藤の言葉が印象的だった。俺には、書きたいけど書けないことってあるだろうか、と改めて自問した。それまでは、もっともな理由から書…

荒野の決闘

山内さん、下川さん(id:Emmaus)、またコメント欄が次頁に隠れてしまったので、こちらに引用させていただきます。結構大事な話だと思うので。悪しからず。山内さんが登場してくれたのは、下のエントリーがきっかけでした。 魂と霊(2009年08月21日) これに…

石川さゆりと古田りんずのデュオ

乾杯! ウイスキーがお好きでしょ 石川さゆり 2000年 Ishikawa Sayuri, 2:59 ピアノの古田りんずさん、いいでしょ。

1000日

いい区切りの日なのかもしれない。

南陀楼綾繁さん

白水社の「出版ダイジェスト』(隔月)が届いた。南陀楼綾繁(ナンダロウアヤシゲ)さんの「再読愛読」という新連載コラムが始まった。第一回は千野栄一『ビールと古本のプラハ』(asin:4560073406)。無性に読みたくなった。早速注文した。ナンダロウアヤシ…

書けば、届く

わお!先日、「イメージフォーラム・フェスティバル2008札幌」三日目の報告で青山佳世さんの『合縁奇縁他生之縁 ここは山根四号組』に感動したと書いた。 ドキュメンタリーは映画の塩:青山佳世作『合縁奇縁他生之縁 ここは山根四号組』に感動する(2008年10…

コミュニケーションの裏の裏の道

あるとき、ブックマークした二つのエントリーの二人の著者が、そのブックマーク自体にはてなスターをつけてくれた。その情報が自動的にメール送信されてきた。最初は一体何が起こったのか分からなかった。そんなコミュニケーションは初めてだった。メール送…

カレントとアーカイブの狭間でアンソロジーを夢見る

インターネットがもし夢を見るとしたら、どんな夢をみるだろう、と思うことがある。私がインターネットにどんな夢を描くかというのと微妙に違う。ネットのあちら側にどんどん蓄積される記録にはカレントとアーカイブがあって、ブログみたいなカレントはさて…

ウェブログとブログの差異

ウェブログがブログと縮めて呼ばれるようになった背景には、あちら側からこちら側、機械ないしはシステムの側から人間の側への視点の移動があったのだと思う。システム主体の概念であるウェブログが人間主体のブログへと引き寄せられたのである。機械的記録…

ブログは仮面舞踏会か:美崎薫さんのブログ批評をめぐって

私はどんな表現もその人の人生の記録だと思っています。表現技術上の巧拙はあるにしても本質的には優劣はない、と。先日、美崎薫さんの連載をある文脈で紹介しました。 Your time is limited, so don't waste it living someone else's life.(2008年09月04…

よかった、よかった

先月末の落雷でパソコンが壊れ、音信不通だった釧路在住のじゃこしか爺さんがようやくブログを再開なさった。よかった、よかった。嬉しい。 「ブログ再開について」(『昭和ひとケタ樺太生まれ』2008-09-16) 一部引用させていただく。 ブロガーの皆さん、本…