専門演習参加者の皆さん、こんにちは。
デジタル・ポエティクスとは何をするのか。「宇宙的郷愁」とは何か。については、だいたい分かってもらえたようですね。
舞踏家、近藤良平のビデオを見せたのにはひとつの明確な理由がありました。もっとも理由なく何かをすることはほとんどありませんが。皆さんがどれだけのことをそこから見てとることができるか試したわけです。私と一緒に見ながら、つまり体験を共有しながら、そこで何かをお互いに発展的に動かして行くことができるかどうか。もしできないようなら、私が一方的に教育するだけの体制になりかねない。それだけはどうしても避けたい。
ビデオの中では、大学の演習にも通じるところが大きい、いくつかの大切な事柄が、舞踏の世界という枠を超えて描かれていました。例えば、言葉では伝わらないことを体で表現するにはどうしたらいいか。「言葉では伝わらないものがある」ということが体を介して伝わればいいわけですよね。表情だって体の表現の一部です。
それから、相手とのインタープレイの大切さ。相手の出す力を測りながら、自分の出力をコントロールする。そのやりとりの大切さ。コミュニケーションというと漠然としすぎる。
そして、何よりも、気迫。理想を追い求めるという姿勢ではなく、いつも「いまここ」で最大限の強度を発すること。だからこそ、舞台に「見所」なんてない、明日仕事止めますということが起きる、と他人事のように近藤は言うわけです。彼はそれを狙っているわけではないことが分かりましたか?
次回は写真家、映像作家の仕事を垣間みる予定です。