nowhere

nowhereという見出し記事は特定の授業に関するものではなく、すべての授業に関係する一般的かつ深い内容の話題です。

これは、メイン・サイト全体で自ずと示そうとし、またコンセプトとして簡単に書いたことですが、私自身の長年のテーマは、(といっても、それを明確に自覚したのは数年前で、それまでは薄々と感じながらも、実際には暗中模索と試行錯誤の連続でした)認識(学習)と表現(実践)の一体化、両者を可能なかぎり近づけるということです。仕事上、「教える」ということに関して言えば、私の認識、私が学んだことを、私はこう認識した、私はこのように学んだと、その決して単純でストレートではない過程を、紆余曲折し複雑に枝分かれもする道筋をも含めてトータルに再現する、表現することが、そしてその表現がそれに触れた人の「学ぶ」意欲に火をつけるような「形」になっていること、(できるだけ形骸化して乾涸びた姿にならないように心がけること)そしてそれが同時に「教える」ことにもなる、そんな状態を自分の中にも、周りにも作りだしたいと強く思っています。

学ぶことが教えることに直結する回路、場の設計とでも言えるかもしれません。それはどこか特定の場所にあるわけではないので、どこにもないとも言えるし、どこにでもありうるとも言えるし、その気にさえなれば、ある教室やある部屋をそのような場にすることは可能です。私はそんなnowhereをとりあえず、サイバー・スペース(ウェブサイト)といくつかの教室空間を連動させて実現しようとしているわけです。この「余情日記」もその一環です。