哲学者の人生

受講生の皆さん、こんばんは。

明日の授業では、まず映画『ヴィトゲンシュタイン』の後半を観てから、映画にまつわる事実に関する資料を配付して若干の解説をします。そして、ひとりの人間、たまたま「哲学者」として知られた人間の人生について考えたいと思っています。11月に上映会を計画している映画『デリダ』の中で、やはり「哲学者」として知られるデリダは、哲学者の人生について、彼/彼女は「生まれ、哲学し、そして死んだ」、それだけだ、と語ります。その他は人びとが興味半分に取り沙汰する逸話にすぎない、と。しかしながら、その逸話にすぎないかもしれない、間接的に伝わる事実の向こう側に、確かに同じ人間として悩み、苦しみ、何かに喜びや快感を覚えたはずの、神でもなければ、天才かどうかなんて関係のない等身大の彼がいたはずです。もしかしたら、今私たちの傍らに存在したかもしれない、そんなただのひとりの人間として。

ジャーマンは書きました。「誰が映画にかまうものか。私は、かまったことなどない。ルートヴィッヒが哲学について感じたと同じことを、私は映画に感じている。もっと差し迫った事柄がほかにあるのだ。」(「これはルートヴィッヒ・ヴィトゲンシュタインの映画ではない」より)

「もっと差し迫った事柄」。私たちが日々背負わざるをえない人生における「もっと差し迫った事柄」に繋がるようなヴィジョンをあなたは明日つかめるでしょうか?