YouTube:ウェブ進化、人類の意識の「底上げ」

梅田さんのYouTube続報「YouTubeについて(2)」読みましたか。
http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20060629
YouTubeのサービスに関して、創業者の理念、YouTubeに映像コンテンツをアップする若者たちの実態(特にその「感動」や「興奮」の質)、そして著作権問題のそれぞれについて興味深い報告があります。特に、最後の著作権問題に関しては非常に興味深い事実が書かれています。以下に梅田さんの報告を私なりの解釈を加えて要約し、少し推理してみます。
違法コピー映像に対する対応をめぐっては、
(1)削除要請があれば削除するという対応で済むレベルと、
(2)そもそも違法コピーの存在を許している点に対する批判にどう対応するかというレベルが区別されます。
後者はYouTubeのサービスのあり方を根底から問う深刻なものですが、YouTube側は現在のところ、(2)のレベルの批判に対しても「日に4-5万(今のところ)といえば、毎時平均2,000(2秒に1つ)もアップされるわけで全数チェックなんてできない」というあくまで(1)のレベルの「言い訳」でかわし、それを補強するために「著作権者自らがマーケティング目的でYouTubeにアップする(「Seeding」)ケースも今後増えてくる」し、「YouTubeで話題になることで視聴者の認知度が上がるメリット」を著作権者は認めざるを得なくなる事態への進展をメディア側にも認知させる戦略をとっています。
これを単に一つの新興IT企業のあざとい戦略と見限ってしまうと大事な点を見損なうことになります。つまり、YouTubeのサービスの「危うさ」は実はウェブ進化のまさに大きな分岐点に私たちが差し掛かっていることの証左であると見る視点が重要であると私は感じています。なぜなら、梅田さんが冒頭で明記しているように、そもそもYouTubeのモットーは「Broadcast Yourself」(あなた自身を放送する)であって、そのサービスの意義は「総表現社会のプラットフォーム」の提供にある、からです。すなわち、既存のメディア側が著作権を握る作品も見られることはあくまで付随的かつ過渡的なことでしかなく、大事なことは、無数の名もない個人がPersonal Broadcastできる環境が整いつつあるという事実のほうなのです。ここに、著作権や情報倫理の問題を超えた、人類の意識の「底上げ」に通じる大きな変化を感じると言うことは決して大げさなことではないと思います。ですから、YouTubeに日々刻々とアップされている個々の作品の「質」を現時点で評価することにあまり意味はありません。そんなことよりも、私たちがそのような新しい環境の中から近い将来生まれるであろう「質」に期待するセンスを持っているか否かが問われているのだと考えるべきです。つまり「ウェブ進化」が私たちの意識とセンスに選択を迫っているのだと。