fladdict.net blog

ウェブ進化論』の「第4章ブログと総表現社会」を読み直していて、そこで紹介されている「知的生産性のツールとしてのブログ」の著者、まだ若い英国在住(?)の高橋さんのfladdict.net blogに衝撃を受けました。
http://www.fladdict.net/blog-jp/
高橋さんはFlashAjaxの幸福な婚姻(!)を追求している非常に優秀なエンジニアであり、かつネット世界の将来を真摯に展望するVisionaryでもあります。
Flashに関しては、なつかしくも新鮮な作品を楽しみました。
http://www.fladdict.net/
高橋さんのブログに関しては、最早私にはついていけない技術のディープな話題から、「はてな」への厳しい批判や建設的な提案まで、情報発信の複数のレイヤーを見事に使い分けながらの、小気味よい書きっぷりに敬服しました。インターネットの真の可能性、ブログの生産性を身を以て示している最良の見本です。2006年4月2日で記事が中断しているのが気になります。もう英国の大学院を卒業したのかな?
ところで、梅田さんが『ウェブ進化論』の「第4章ブログと総表現社会」で引用している高橋さんの言葉(pp.163-4)は、ブログをやっている人にとっては自分がやっていることの意味を再確認する、まだやっていない人にはその魅力を強力にアピールする内容のものです。ここに高橋さんのブログから直接引用します。

まず個人にとってのオープンソースとかブログとは何か。それはポートフォリオであり、面接であり、己の能力と生き様をそのままプレゼンテーションの装置として機能する。リファラーやTBは、業界内のリテラシーの高い人間の位置を教えてくれるし、記事を書き続けることで人との繋がりも生まれていく。転職活動をする場合、相手が読者ならば自己へのコンセンサスがある状態から交渉を始めるアドバンテージを得られる。それだけのものが、金も人脈も後ろ盾のない人間が手に入れる唯一の手段が、情報の開示なのだと思う。

http://www.fladdict.net/blog-jp/archives/2005/04/webcodezine.php

梅田氏がブログを「知的生産性」のツールと位置づけてらっしゃっているが、実際ブログを書くという行為は、恐ろしい勢いで本人を成長させる。それはこの1年半の過程で身をもって実感した。/何がどう変わるのかというと、まず一定層の読者がつくと、適当な内容が書けなくなる。ゆえに検証とリサーチの能力が磨かれる。リサーチを通じて多くのブロガーから多角的な視点を学ぶと同時に、己の引き出しが急速に増えていく。一方でこの時期からエントリの内容量の増加と、品質へのプレッシャーから筆が鈍るようになるが、文章とリサーチのバランス感覚や、コメントでの間違いの指摘などへの耐性が身につき、失敗を恐れない図太さが身についたりもする(と思う)。/付足すなら、誰がどういう情報を出すかとかリファラーやコメントとかから、どこら辺の人が何に注目しているのか?といったことも何となく把握できるようになってくる。/ただ、ブログを通じて自分が学習した最大のことは、/「自分がお金に変換できない情報やアイデアは、溜め込むよりも無料放出することで(無形の)大きな利益を得られる」/ということに尽きると思う。(「/」はオリジナルの改行箇所です)

http://www.fladdict.net/blog-jp/archives/2005/04/post_48.php
私は1年遅れでネットの新動向の本質を知り、今やブログやSNS等を介して日々その鼓動を聞くようになりました。インターネットの開放性を積極的に生かす方向にしか「未来」はなく、そしてすでにその方向に動き出した少なくない人々が失敗をくりかえしながらでしょうが、着実に世界を「進化」させていくだろうことはほぼ間違いないでしょう。今もし私が中学生か高校生だったなら、どんなにわくわくしたことか。