分身と会社

7/23の記事「[思想]レバノン]」の最後に私は次のように書いた。

肥大した社会、国家、組織の暴走を食い止めるには、それらを意識の中で自己と同じレベルにまで縮小し、それらと対等な関係において言葉を紡ぎ、行動するしかない、という今福龍太さんの「15年前の予言」(*)を今更ながらに噛みしめいている自分に気づく。そしてその意味では自己と等身大に機能するような「変な会社」を創った近藤さんが見ている「世界」こそが世界の「未来形」なのではないかと思う。

それ以前に「分身」という見出しで、ブログやサイトは自己の分身として機能することの意義について書いた。そして今、会社と分身の二つが繋がった。すなわち、自分の分身であるブログやサイトは会社の「未来形」の重要な役柄である、と。しかも分身であるがゆえに、正しく等身大に機能する。十年、二〇年先を展望したときには、ブログが個人にとっての会社、つまり「人間=会社(=研究所)」として機能しているような「世界」が当たり前に近い状態になっている可能性は高い。これこそ、本質的なSFとして物語られるべき重要なテーマでもあるのではないだろうか。(学生のA君、君の豊かな想像力をこの線で展開してよ。)その理論的、技術的根拠については『ウェブ進化論』を参照のこと(って、そのうちちゃんと自分の言葉で説明します)。