「知の革命」の意味

ブログやSNSを「生き延びる」ために本当に必要としている(と私は見ている)若い人たちがいて、彼らとの付き合いの中で私は「ウェブの進化」に伴う「知の革命」の一つの側面を実感している。ただし、彼らはそうとは自覚していない場合が多いので、自覚を促す目的もあって私は『ウェブ進化論』で語られるヴィジョンを精一杯擁護している。そんな私は彼らの中にかつての自分を垣間みているのかもしれない。彼らほど己に真摯ではなかった私は己をごまかす術を身につけ現在まで生き延びて来たような気がする。その罪滅ぼしのようなことを私はしているのかもしれない、とも思う。
とにかく、ネットに向き合い、見えない向こう側の不特定多数無限大の人々に向けて自ら発信することによってはじめて目の前に拓けてくる地平に、今までにない「知」の可能性を感じることが大切なことだと思う。それが最初はいかに主観的で限定的で未熟なものであろうとも。なぜならそれは身の回りの現実世界ではとっくにあきらめていた動きに繋がっていく可能性を秘めているからである。

「ウェブの進化」に伴う「知の革命」とは何かについては『ウェブ進化論』においても主題的には論じられていない。しかし「知の革命」のイメージは明確である。それは先ず第一に「認識」、「知識」、「知恵」、「表現」といった旧来の制度に依存した概念を揺るがし破壊するような新しい環境の誕生を意味する。すなわち、知りたいことを知るための方法と知りたい人に教える方法が非常にシンプルな形で実現し、技術的にもコスト的にもだれにとっても開かれた環境が出来上がりつつあるということである。「知の革命」という表現自体が実はそのことを物語っている。従来の学習/教育、認識/表現、知識/経験、愚かさ/知恵、学問/ビジネス、等々といった二分法的発想にとらわれないもっと柔軟でダイナミックな知的=情報的態勢と環境のことを一語で「知」と表しているのである。だから、そこでは従来のように個人の知的営みとそれを支え取り囲む知的環境とを切り離して論じることもできない。そしてそのような状態を過不足なく表現しうる哲学用語もない。「思想」という言葉も追いつけないような、知的=情報的な態勢-環境の進化が「知の革命」である。