bookscannerさんがさり気なく投じた画像検索に関する深い疑問について、考えていた。
残されたのは、「アイデアがあふれるように浮かんでくる」ようにするために、あとは「もっぱら見る」ツールを提供してもらわないといけない。美崎さんは、100万枚の画像を見るためにPicasaは役に立たんと言って、自分で作っちゃったから。でも、本当に100万枚も見るのかな?
美崎薫さんは「2009年に来る3年後の未来は日々体験ずみ」なんだって
画像データの量が膨大になると、例えば100万枚とか、それを「検索」することは非常に難しくなる。結局「タグ」をつけるしか方法はないと考えられているが、美崎さんによれば、独力でやるには4年かかるという。
筆者自身は、現在データベースの整備中なので、100万枚から検索することについて報告はできないが、いくつかタグづけしてみた試算によれば、100万枚にタグづけするに要する期間は、4年程度ですむと考えられる。
「記憶する住宅」そして未来へ - 記憶を発想に高めるコンピュータ環境を作る(6)SmartWrite/SmartCalendar(4)
Web 2.0的には、不特定多数無限大のひとびとによって勝手に付けられたタグが、画像検索の資源になるのだろうが、そこには画像というデータの扱いに関するかなり深い問題が見え隠れしているように思う。もちろん、優秀なエンジニアたちは、勝手につけられたタグが次第に自然淘汰されて、使い物になるようになる学習プロセスを開発する、もうしてる?、だろうが。
しかし、画像の場合、結局「検索」のプロセスから「見る」こと自体を閉め出すことは不可能だから、美崎さんが日常的にやっているSmartCalenderによる「スライドショー」は実は画像検索のコロンブスの卵になるかもしれないな、とちょっと思った。現に、美崎さんは、「見ているうちにデータベース化するようなしかけ」を作り出す線で、「次世代の記憶システム」、「記憶に近い画像処理システム」の完成を予感している。
しかし、その美崎さんですら、やはり実際には「検索を考えると、キーワードをつける作業は必須である。」と言う。そして、おそらく私から見れば超絶技巧的なタイピングで日々、タグ付けをなさっているのだと想像する。
しかし、(逆接が多くて、恐縮です)私はなんとなく、「スライドショー」を進化させたような「見る=検索」ツールができないものなのだろうか、と素人の浅はかさで空想してしまう。単に高速でスライドさせるというのではなく、それでは明らかに識別限界があるから、そうではなく、もっとなんというか有機的なスライドショー・ツールって、できないかな。
(メモ)
「見る」ことは自然走査、ナチュラル・スキャンである
「見る」こと自体が「記憶」に左右される
「同じ」画像が「違って」見えることもある
画像の意味はテキストの意味より遥かに複雑深遠である
タグによる画像検索は、ないよりはましである
そういえば、テレビドラマや映画で犯罪捜査に当たる刑事なんかが、指紋や顔写真などの気が遠くなるほどの数の画像をウンザリしながら目でスキャンしている場面を思い出した。もしかしたら、下手に「タグ」が付いていたら、「検索」によって、目当ての画像は、それこそ「見逃される」かもしれないと思った。その意味でも、画像検索とはかなり難しいものだと再認識した。