デジタル自画像アーカイブ計画と「世界の丸み」に気づくレッスン

昨日、言語哲学入門の準備の最後の詰めに没頭しているとき、新人ゼミ生M君が訪ねてきた。一昨日の話の続きがしたそうだったので、こちらから昨夜思いついた小さなアイデア、「デジタル自画像アーカイブ」計画について、その概要を説明した。

それは先日の情報デザイン論でやった「自画像レッスン」をさらに発展させることを目的とした計画の一環で、300枚の自画像を電子化して、300人の学生が体験を共有できるようなデジタル自画像アーカイブを作るという内容だった。具体的作業は、300枚の自画像をデジタルカメラで撮影し、パソコンに取り込み、タグ付けを工夫して、適当なスライドショーを製作するという、いたって簡単なものである。でも、一見他愛のないその試みによって、学生たちが自分を含めた300人分のメタ認知シリーズを全員一緒に同時に「見る」ことで、記憶と感情が深く撹拌されるような体験をすることになる。それは、自己のみならず、他者に関する認識をも一段と深める、あるいはメタメタ高めることになるという確信を、実は私は少し試してみて持っていた。なにせ、その中には、この私も巻き込まれているから。私は来週火曜日の授業で公開するつもりだった。それに間に合わせるにはこの週末を使うしかないが、あいにく、M君は多忙らしく、私は自宅で一人でやることにした。

気がついたら、講義開始時刻5分前で、私はM君に別れを告げ、午前中に印刷してあった講義資料の束とラップトップと一本のビデオを抱えて、慌てて研究室を飛び出した。1403教室への途上でチャイムが鳴った。

授業は、前回のポイント、世界と自己の本来的な不安定さ、脆さ、偶有性の再認識から、幸運を呼び寄せる、招き迎える僥倖(ぎょうこう)の態勢と方法の必要性を再確認したうえで、それを具体化するためのポイントとして「記憶」の問題に入った。埋もれている膨大な記憶を発想のための豊かな資源に変貌させるには、記憶を引き出すトリガー(引き金)になるような日々の経験の仕方、特にその記録方法を工夫して、実行する必要がある。そんな創造的な経験と記録の方法のための媒体は基本的に言葉と映像である。そこで、先ず、記憶の問題に深く自覚的に取り組んでいると言える二人の表現者、詩人の吉増剛造さんと写真家荒木経維さん(今日札幌大学に来ることに因んでということもあって)の経験の仕方と記録の仕方を垣間みることのできる20分程度のビデオ『都市の深遠から』(1995)を鑑賞した。私はもう何百回観たかしれない同じビデオを今日また久しぶりに学生たちと一緒に観ながら、詩、あるいは文学や芸術の優れた作品は、作者個人を超えて、多くの人にとって埋もれた膨大な記憶の中から大切な多くのことを呼び覚ます普遍的なトリガーになるものだと再認識していた。そういうメカニズムをプロの専売特許にだけしておかずに、稚拙であってもいいから、自分の生き方に応用しようぜ、と私は檄(げき)を飛ばしたのだった。

「いのちの全領域のプンクトゥム、活気のあるところ、を傷をつけながらだろうけれども、もったいないから、これも、と、<すべてを>全身全霊で救う活動を通して<世界の丸み>に気づいていく。」(吉増剛造『都市の深遠から』)

「どこが言語哲学入門?」と思われるかもしれないが、ここまでは、前菜、スープ。
メインディッシュとしては、
体験の言葉による凄まじい記録を「詩」という形で続けて来られた吉増剛造さんによる神業のようなウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』読解(吉増剛造『The Other Voice』の一部分)を手がかりにして、『論考』全体が示す「世界観」をつかまえる、という試みをやった。

1世界は成立していることがらの総体である。
1.1世界は事実の総体であり、もののの総体ではない。(岩波文庫版 野矢茂樹訳)

1The world is all that is the case.
1.1The world is the totality of facts, not of things.

1Die Welt ist alles, was der Fall ist.
1.1Die Welt ist die Gesamtheit der Tatsachen, nicht der Dinge.

起ったこと、起りうること「すべて」を、分け隔てなく、一つ残らず拾い上げ、書き留め、写す。脳の都合に合わせるのではなく、脳に忘れさせないように記録する。数え上げ続ける。もったいないから、これも、あれも、と、なにひとつ捨てずに、貯えて行く。その気持ちが向かうのは、すっかり忘れられた、豊かに、丸みを帯びた、世界、そうでしかありえない世界、だと思うんだけど、みんなどう思う?

今日は、これから荒木経維さんの講演会に出かける計画。デジタル自画像アーカイブ作りは、まだ28枚止まり。間に合うのだろうか。実は、最初の作業、デジタルカメラで写真を撮ること自体が、かなり難しい、奥深い問題を孕んでいることに気づいていた。