何度でも追体験せよ!

今日はブログのレシピをOHPで大写しにしながら、板書する暇もなく、70分間しゃべりつづけ、残りの20分で「都市の深淵から 第1章荒木経維」を学生たちと一緒に観た。

春学期の「情報文化論」では宇宙創世、ビッグバンから、宇宙史、生命史、人類史、そして現在のコンピュータとインターネットに至るまでの歴史を、人類の全記録=全情報の視点から総ざらい、インプットするということをやった。それを受けて、この秋学期の「情報文化論」は今度はアウトプット、表現する方法を学ぶということをやっている。

アウトプット。それはどんな形態をとろうが、根本的に「情報デザイン」である。すでに手あかの一杯付いた、編集された情報を取捨選択し、新たな編集を加え、新鮮な形に仕上げること。しかし、アウトプットするにはインプットしたはずの体験の記録をちゃんと活かせないといけない。そのためには、体験を大切に記録し、いつでも引き出せるように保存する必要がある。大学の授業だけでなく、生活全般にわたって己の体験を貴重な資産と自覚して大切に記録することからすべては始まる。ここが肝心と、何度も私自身の体験や優れた例を引き合いに出して敷衍した。ここが「学ぶ」ということの根本的な姿勢、態勢を作ることにも繋がるところだから、私は妥協せずに、今後も形を変え何度でもやるつもりだ。そこで意識が切り替わらなければ、浅く狭い視野のままメッキのような知識しか身につけられずに卒業することになる。

そして、何度でも追体験せよ!それが体験を深め、豊かな経験にする唯一の方法である。

言語哲学入門」でも学生たちと一緒に観た上記のビデオを、今度は「自分の体験を記録することの意義を自覚する」という絞り込んだ文脈で観ることをした。「生命の全領域のプンクトゥム、活気のあるところを、傷を付けながらだろうけれども、もったいないから、これもと、全身全霊で救う、愛でることを通して、世界の丸みみたいなものに気づいて行くこと」。荒木経維さんの写真家としてのポイントとして吉増剛造さんが語ったこの言葉は、今でも私の座右の銘である。