発見と連想

私が住む札幌市の南端に近い場所では紅葉が真っ盛りですが、赤緑色弱の私はイチョウの黄の葉は鮮やかに見えますが、カエデ等の紅の葉は鮮やかには見えません。私が人生で損をしたと思うのは家族をはじめ大抵の人が紅葉の美しさを堪能しているらしい時です。私は紅葉の鮮やかさを感じたいのに感じられない。でも、その分、家族が紅葉に目を奪われている間に、私は冴えない霞んだ色に枯れて行く木のある種の「美しさ」や自然の悪戯のような造形に目を留めることが多いので、あながち損ばかりしているとは言えないのでしょう。

今朝の風太郎との散歩では、そんな不思議な造形が目に留まりました。一体何だろうと思って近づいて撮影しました。きれいに葉が全部落ちて棒状の茎だけになった名も知らぬ植物群。いつも通りかかって、目には入っていたはずの植物ですが、葉をつけていた姿の記憶はまったくない。初めて見た気がしました。しかし、手前に映っている大振りの葉をまだ付けた仲間の姿から以前の様子を想像することはできました。

アメリカ滞在中に親しくなったロン・サンド(Ron Sand)翁が薦めてくれたスコットランド在住の環境芸術家、アンディ・ゴールズワージーという素晴らしいアーティストがいます。『rivers and tides』という彼の途方もない「作品」製作現場を見ることができるDVDも出ています。ゴールズワージーが作る作品は、素材がすべて自然物です。石、植物の枝や葉や茎、氷。しかもそれらをつかって、自然の中に「作品」を長い時間かけて作る。海辺、川べり、道端などに。すると当然自然の時間の経過につれて、それらの作品は流されたり、満潮時に波間に消えたり、氷は溶ける。消滅する。一種の「時間芸術」。だから、彼の作品の実物を見るには、ある限られた時間内に現場に行かなくてはならない。それが出来る人は限られる。そこで彼は作品をすべて写真に収め、何冊も写真集を出しています。また上のようなDVDを出しています。それらは貴重な記録です。DVDを見るたびに、自然に限りなく寄り添いながら人間に可能な造形の限界を探究する彼の姿勢に私は深く感動すると同時に、人間が作るもの、人工物の宿命を、もっとも雄弁にしかも美しい形で表現することに成功していると感じます。

実は、上の自然の悪戯のような造形を見た時に、ゴールズワージの作品を連想したのです。