HASHI展行きがいよいよ近づいて来た

まだ見ぬHASHI展行きがいよいよ近づいて来た。もう見るまでは何も書くまいと思っていたが、『横浜逍遥亭』10/23 (月)「「HASHIGRAPHY」とは何か 」の深い余韻が、いくつもの連想を生み、書かずにはいられなくなってしまった。

いつの頃からか私は毎晩のように赤ワインを少しだけたしなむようになった。ワインといっても高価なものには縁がない。近所のコンビニ、セイコーマート、北海道にしかないのかな、で手に入る安いワインだ。セイコーマートはもともと地元の酒屋さんだったところが多いらしく、私が毎日のように通うセイコーマートも元は酒屋さんで、だからなのか、酒の、ワインの品揃えが、他のコンビによりも数段よく、安くて旨いワインが手に入る。今日はブルガリア産の「エルボボ・メルロー」。500円だ!もちろん、保存料は入っていない。私はアメリカ、カリフォルニア滞在中も2ドル、3ドル程度のワインを飲み続けていたが、メルローが好みだということにその時初めて気付いたほどの「奥手」だ。この「エルボボ・メルロー」も、その名の通り、メルロー種だ。

そんなことはどうでもいいのだが、最近はワインのボトルを見るたびに、ということはほとんど毎晩なのだが、HASHI展の公式サイトでしか見ていないシャンペンボトルの栓が開いた瞬間、10万分の1秒の「現実」のイメージをどうしようもなく思い浮かべてしまうようになった。それを思い浮かべたいがために夜な夜な冷蔵庫にあるワインボトルに吸い寄せられるような気さえする。

他方では、中山さんが上記のエントリーで詳細に報告してくださった「HASHIGRAPHY」の存在が、暗い穴のようなイメージを私の中に植え付けた。やはりHASHI展公式サイトの写真でしか見たことのないほの暗い空間の中で濡れたように艶(なまめ)かしく光る舗道が異界への入り口のように感じられているのかもしれない。ともあれ、瞬間と永遠、物語、そしておそらく強烈なノスタルジーを喚起するであろう未来の眼差しに映る現在、をこの私はどのように感受し、言葉にすることになるのか。

中山さんが非常に説得的に書かれていたように、人間の体験の時間的に極限的な振れ幅を体現している橋村さんの世界=舞台に早く触れたい。それは、おそらく橋村さんの日本とアメリカを結ぶ体験の振幅とどこかで重なっているはずのものではないかなどと、私は止めどない想像をしてしまう。本当に、楽しみだ。言葉には決して尽くせないことは分かっている橋村さんの写真の、その言葉には尽くせない部分、私の言葉では「ゴースト」を「ゴースト」としてネガのようにちゃんと示せるかどうかが私の課題のような気がしている。

(また、いい加減なことを書いてしまった。橋村さん、中山さん、ごめんなさい。)