私の『ウェブ人間論』

ウェブ人間論 (新潮新書)

ウェブ人間論 (新潮新書)

梅田望夫著『ウェブ人間論』がずっと机上にある。数週間前に新潮社を通して梅田さん御本人が謹呈してくださった。これは自慢話でも何でもない。すでに、梅田さんのブログではすぐれた書評がいくつも紹介された。『横浜逍遥亭』の中山さんの書評にもうなった。書評として私に書けることはないと思っていた。

しかしながら、書かなければならないことがあるとずっと感じてきた。ようやく分かりかけてきたそのことについて書いておきたいと思う。

数週間前に勤務先の大学のレターケースに新潮社からの書籍小包が入っているのに驚いて、なんだろう?と思いその場ですぐに開封して、それが『ウェブ人間論』だと分かったときに、体に電流が走ったことを私は忘れない。ブログ上でごくわずかな目立たないやりとりがあったにすぎない、会ったこともない、見ず知らずの現実の私宛に著書を実際に送るという梅田さんの行為に『ウェブ進化論』の真価を強烈に再認識させられたのだった。

三上さん、まだ本気じゃないでしょう、という声が聞こえた気さえした。ブログを含めたウェブの進化が、現実の人生、人間関係をもよい意味で変える、進化させる可能性への類い稀な信頼、「本気」を『ウェブ人間論』の謹呈という行為に私は無意識に強烈に感じたのだと思う。実際に見知っている人からの謹呈とは訳が違う。

そのような謹呈に関してはいろいろと詰まらないネガティブなことをいう人が必ずいる。しかし、そんな暇があったら、ポジティブなことを、現実に誰か一人でも自分以外の他人に生きる勇気を与えるようなことをしてみろ、と言いたい。それができないのであれば、せめて黙っていろ。

書けば誰かに届く、ように進化したウェブの可能性を語る梅田さんの言葉に可能性を感じた私は、ブログを本格的に始めた。半年が経とうとしている。その間の僥倖は計り知れない。『ウェブ進化論』を読んでいなければ、今の私はないし、今の私を説明するのが『ウェブ人間論』である。私にとって『ウェブ進化論』は最初から「人間論」だった。だから、私は深く感応した。単なる「ウェブ論」なら見向きもしなかったに違いない。根本的にはGoogleAmazon自体が問題ではない。それらを通して、自分の人生をポジティブに変える可能性を探りつづけることの大切さこそが伝わってきた。

そして私は私の「ウェブ人間論」を実践してきたのだと思っている。その意味では『ウェブ人間論』という著作は、梅田さんの人生を変えた「ウェブ人間論」のひとつの総括なのだと思う。傲慢の誹りは免れない覚悟で言えば、私は私の『ウェブ人間論』を書くことでしか、今回の謹呈に報いる、真に応答することにはならないと感じている。

こんな形で失礼千万ですが、梅田さん、遅ればせながら、本当にありがとうございました。