映画の中の本と本の進化

アメリカで公開中のメキシコ人監督ギレルモ・デル・トロ(Guillermo del Toro)の映画『Pan's Labyrinth』が面白いらしい。昨日触れた『Babel』の監督もアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ(Alejandro González Iñárritu)、メキシコ人だった。

ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記」の町山智浩(TomoMachi)さんがすでにこんな感想を書いていた。
2007-01-10 ポッドキャストは「パンの迷宮Pan’s Labyrinth」
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20070110

公式サイトの概要によれば、スペイン内戦(1936-1939)の苛酷な現実を背景に、そこに一人の少女(オフェーリア)の突飛な想像の世界がメキシコ人である監督自身のスペイン内戦の記憶(メキシコへの亡命者の記憶の継承?)や人類の様々な記憶への索引のように重ね描きされた密度の濃い映画であるようだが、町山さんによれば、

フランコ政権下のスペインを舞台に、少女と妖精の出会いを描く『ミツバチのささやき』のようなファンタジー

という趣きもあるらしい。『ミツバチのささやき』と言えば、あの溝口健二監督を崇拝するスペインの監督ビクトル・エリセ(Víctor Erice)。みな「スペインつながり」だ。

残念ながら、日本ではBabelもPan's Labyrinthもまだまだ観ることができない。それぞれの公式サイトの短い予告編やトレーラーから雰囲気を感じとるしかないので、映画については何も語れない。それで、何が言いたいかというと、Pan's Labyrinthの公式サイトの「ABOUT THE FILM」下の各ページが、写真や手書きのノートや開いた本の画像から見事に「有機的に」構成されていて、目を見張ったということが言いたかった。最近の映画公式サイトでは珍しいことではないのかもしれないが、ちょうど、bookscannerさんの相変わらず切れ味のいい記事2本を読んで、「本の電子化」が向かうわれわれのまさに「迷宮」のような書物的世界の未来形を垣間みた直後だったので、こういう風(インターフェース)に、紙媒体の記録が再現されれば、かなり現実味があっていいんじゃないかな、と思ったのだった。特に「ABOUT THE STORY」の開かれた本に見せかけた画像はスキャンされた本を彷彿とさせた。

bookscannerさんの切れ味のいい記事2本とは、
先ずは、こちら。
http://d.hatena.ne.jp/bookscanner/20070112
その結論は、

本って、だいたい、目次が最初にあって、索引が最後にあるでしょ。UCLは目次と似た感じで、イメコは索引と似た感じ。そんで、UCL(目次)はタクソノミーみたいで、イメコ(索引)はフォークソノミーみたいな感じがする。そーすっと四捨五入しちゃえば、本って前から読めばタクソ、後ろから読めばフォクソだね。

次に、こちら。
http://d.hatena.ne.jp/bookscanner/20070113
その結論は、

本を前から読むことってのは、タクソノミーにのっかりつつ、タグ付けをしてるってことじゃないかな、って思うよ。図書館にある本には、書き込みしたり、耳折ったりしちゃいけなかった。だから、本に対するタグ付けってのは、基本的に個人的なもんで、フォークソノミーってなところまでいかんかった。でも、今後、電子化された本の画像に対して、みんなで書き込んだり、付箋くっつけたり、そーいうことをしてもよくなる可能性がかなり高い。そーすっと、全文検索+タグによって、ますます、本は後ろから読むもんになっていく、そんな気がするよ

嫉妬したくなるほど素晴らしい。文句のつけようがないくらいぴしっと整理されている。ただ、私としては、bookscannerさんの言う「ますます、本は後ろから読むもんになっていく」、その先というか、その意味を是非知りたいと思っている。もはやそれを「本」と呼ぶことはできないのではないか、あるいはウェブ進化と連動した「本の進化」が粛々と進行しているのではないか、そんなことを想像している。