セッション(session)とは何か:365Films by Jonas Mekas

ジョナス・メカスによる365日映画、13日目。


Day 13: Jonas Mekas

Saturday Jan. 13th, 2007 5 min. 10 sec.

In Paris,
Sigmund Freud has
a good session
with Bennjamin..

パリで、
ジグムント・フロイト
ベンヤミン
よいセッション
・・

7日目に登場するベン・ノースオーバー(Benn Northover)とメカスの息子セバスチャン・メカスとともに訪れた巴里のとあるカフェで、若い二人がジグムント・フロイトベンヤミンマルチリンガルに演じ興じる。カメラ=メカスもそのセッションに参加する。後半、パリの街を歩きながらもセッションは続き、メカスもとうとうひょこり顔を出す。

昨日12日目の、企画頓挫と見紛うばかりの絶望したメカスの姿を伝えるフィルムの後に、このような精神分析の独特の治療プロセスである「セッション」を、しかも患者をベンヤミンに見立ているところに、もしかしたら、昨日のフィルムに私は完全に騙されていたのではないかと不図思った。映画Cinemaと精神分析Psychoanalysisの関係は深い。ともに「時間time」と「記憶memory」が鍵だ。昨日のフィルムに写っているメカスは「いつ」のメカスなのか。

難しいと思われがちな精神分析の理論だが、理解の鍵は「セッションsession」にあると私は踏んでいる。ところが、例えばグーグルで「セッション 精神分析」を検索してヒットしたページ約 274,000 件中上位100件まで覗いてみたが、精神分析に関する大抵の説明では「セッション」を鵜呑みにしているから、読んでもなかなかピンと来ない。唯一上のリンク先で、初めて、そもそもセッションとは、という最も肝心な説明に出逢った。ところが、なんとそれを書いている人はジャズJazzのベーシストらしい。さもありなん。ジャズでは「セッション」は欠かせない。ジャズJazzと精神分析Psychoanalysisも浅からぬ因縁がある。