連想/検索、タクソノミー/フォークソノミー

YouTubeで"wenders"をタグ検索にかけた。私の頭の中では、"wenders"は映画監督のヴィム・ヴェンダースを意味しているが、YouTubeのシステムはそんな意味を「知らない」(はずである)。51件ヒットした。そのうち、バルセロナBarcelona 在住のJordi Ferrer Ruizさんの「作品」(?)が気に入った。

(A)Wenders-Kurosawa 2:54sec.

これには、"Wenders", "Kurosawa"という二個のタグが付いていた。

Jordi Ferrer Ruizさんのセンスに惹かれて、彼のもう一つの作品を観た。これも良かった。

(B)JACK KEROUAC 6:16sec.

これには、"Kerouac", "Beat", "Generation"という三個のタグが付いていた。

また、"Wenders","Kurosawa"というタグつながり(related)で、小津安二郎にちなんだ作品がひっかかった。カナダ在住のChristianさんの作品だった。これは小津安二郎論のような作品で感心した。

(C)Yasujiro OZU on trains & automobiles 10:16sec.

これには、"Wim", "Wenders", "Kurosawa", "Naruse", "Keiji", "Haino"という六個のタグが付いていた。

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私は頭に浮かんだキーワード"wenders"(これは私の記憶の中でけっこう上位の索引である)から、「Wenders-Kurosawa」という作品を見つけ、そこに感じたものと似たものを期待して同じ作者の別の作品「JACK KEROUAC」に導かれた。そして、それも気に入った。しかもそれは14日にメカスの映画でふれた「ビートニク」の元祖ケルアックに関する作品だった。それから、"wenders"、"kurosawa"という二個のタグの共通性によって、「Yasujiro OZU on trains & automobiles」に導かれた。

乱暴に整理すれば、
(A)→(B)のつながりは、「同一投稿者」というYouTubeシステム側の「カテゴリー」つまりタクソノミーのお陰で、
(A)→(C)はフォークソノミーのお陰である、
と言えそうである。

もちろん、(A)→(B)には「同じ投稿者(作者)なら似た質感のものを作るだろう」という私の期待が強く働いているし、(A)→(C)においても、小津安二郎の映画にちなんだビデオ作品に"Wim","Wenders"というタグを付けるのはある程度映画に詳しい人、つまり専門家に近い人だろうから、フォークソノミーといっても、映画に関する専門的知識としてのタクソノミーに近いものがある。

また、(B)で使われているサイレントのフッテージの一部は14日に触れたギンズバーグにちなんだものだった。つまり、(B)を観ることで、私の頭の中の記憶では、(B)の中には姿を見せないギンズバーグへのつながりが再認された。さらに、(B)の後半には、若かりし頃のジェリー・マリガンマイルス・デイヴィスジョン・コルトレーンが登場する。彼らの古いLPやCDを聴きたくなった。

それで、一体何が言いたいかというと、三本の作品がとても気に入ったということはいうまでもないが、実際の探し物では、頭の中での連想とネット上の検索とが連繋していて、後者においては、タクソノミーとフォークソノミーを厳密に分けることはできない、ということのようだ。当たり前か。