ポレポレ東中野の思い出

先日、東京から札幌に帰る日、空き時間を利用して東中野に向かった。映画館「ポレポレ東中野」を見たいと思ったからだった。その日どんな映画をやっているかは知らなかった。映画を見たいと思ったわけではなかった。ポレポレ東中野という映画館にちょっとした思い入れがあった。

そこで複数の知人が伊藤憲監督のドキュメンタリー『島ノ唄 Thousands of Islands』を観た。彼らの感想を綴った言葉の印象がずっと心の中にあった。そこには「ポレポレ東中野」という映画館が分ちがたく結びついていた。例えば、その中のお一人、中山さんは次のように書いていた。

東中野の先の、島へ」http://d.hatena.ne.jp/taknakayama/20060817/p1

新宿から二駅、東中野の駅前は東京のどこにでもある場末の街並みをここに置いてみましたとでもいいたげな無個性な風情。駅のプラットフォームに降り立ったら、線路の向こう側にある小さなおんぼろビルの固まりの中に頼りなさげな「ポレポレ東中野」の看板を見つけた。

東中野駅のプラットフォームに降り立ったはいいものの、地図も何も持たずに「東中野ポレポレ東中野」という言語情報しか持たずに来た私は方向すら分からず、駅員さんにポレポレ東中野の場所を訊ねた。彼の懇切丁寧な教えに従って、駅西口(?)を出た途端、再び私は方向を見失った。ちょうどそこにビラ配りに来た若者にポレポレ東中野はどこか訊ねた。彼もまた懇切丁寧に教えてくれた。線路と並行して走る目の前の一本道をほんの数十メートル行った先に、中山さんいう本当に「頼りなさげな」看板を見つけた。


『島ノ唄』はかかっていなかった。大浦監督の『9.11-8.15日本心中』のアンコール・ロードショー、舞踏家大野一雄さんのドキュメンタリー『大野一雄 ひとりごとのように』の予告ポスターが明るい陽射しの中で「遠く」感じられた。『9.11-8.15日本心中』は昨年11月に札幌大学で大浦信行監督ご自身と今福龍太さんと一緒に観たのだった。『大野一雄 ひとりごとのように』のポスターにしばらく見入った。


喉が渇き、少し先のコンビニでミネラル・ウォータを買って、またポレポレ東中野に戻り、ベンチに腰掛けた。喉の渇きを癒しながら、東中野の空気を感じていた。写真を撮った。

同じベンチでは二人の老人がひなたぼっこしていた。二人とも目をつむっていたので、声は掛けられなかった。こっそり足の写真を撮った。

駅に戻る途中、「月の道」を見つけた。日が落ちていたら吸い込まれていただろう。

東中野の心臓部につながるように感じられた商店街に足を踏み入れる気持ちにはならなかった。

東中野を去る電車を待つプラットフォームからポレポレ東中野を撮ろうとしたら、ちょうど電車が通過した。嬉しかった。

『島ノ唄』の中身について、中山さんは素晴らしい文章を書いている。ほぼ半年ぶりに読み返してみて、改めて感服した。

かつて自分が出会った、根元的な何かにつながる音や風景が意識の領域に浮かび上がろうとする。この静かな快感は何なのだろうと思う。

私はまだ『島ノ唄』を観ていない。観る前に、その舞台となった奄美に行き、ドキュメンタリーの主人公である詩人その人と道行きを共にした。そして中山さんのいう「根元的な何か」のヒントを体に刻み込んで来た。その記憶を体験記として何度も言葉にしようと格闘したが、まだ十分に言葉にできていない。

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映画館はポレポレ東中野ではなかったようだが、同じ『島ノ唄 Thousands of Islands』を観たもう一人の知人Mさんが、最近ある文芸誌に映画のなかの詩人の驚くべき言葉「一個の人間のなかに数億の目がある。それが、もしかしたら時間かもしれない……」を全身全霊で引き取って鋭い洞察を書いていた。

切り取った一瞬一瞬、一つの声、一つの感触のなかに、わたしたちは双つの目しか持たない。しかし時間軸の中に生身を浸すとき、身体じゅうで数億の目が開くのだ、たったいまのこんなふうに。

中山さんが映画のなかから詩人の声を通して心中深く、体中深く聴き取られた「無数の島々」の「音(楽)」とは正にMさんが時と場所を隔てて体験なさった「時間」としての私たちのなかの「数億の目」の「存在」なのかもしれない、と思った。