日記作家(diarist) Peter Beard:365Films by Jonas Mekas

ジョナス・メカスによる365日映画、61日目。


Day 61: Jonas Mekas

Friday March. 2nd, 2007
5 min. 30 sec.

Peter Beard
makes an ink print
for Ch.Henri Ford

ピーター・ビアード(1938-)
チャールズ・ヘンリ・フォード(1908-2002)のために
インク・プリントする

明るい陽射しが降り注ぐモントークの海岸で遊ぶビアードの娘サラの無邪気な動きをメカスのカメラは捉える。モントークの家の広い芝生の庭で、ビアードは尊敬するチャールズ・ヘンリ・フォードに謹呈する日記作品『Diary』にブルーのインクをたっぷりとつけた左手の「手形」を採ろうとしている。その方法が普通ではなく、三、四分間力を入れて押し続けている。インクが掌にも紙にも十分に染み込む時間をかけて、やっと完成した「手形」は指の関節の皺や指紋や手相がくっきりと見える写真のようだ。傍で見ていたチャールズ・ヘンリ・フォードも驚嘆の声を上げる。

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日記作家(diarist)という範疇がある。何十年も日記を書き続け、それが文芸作品として認められた人のことである。ここには世界中の日記作家の一覧がある。詩人や小説家や芸術家はもちろん、政治家や外交官なども含まれる。あるいは著名な作曲家の娘や妻も見られる。そこにピーター・ビアード(Peter Beard,1938-)は「アフリカの写真家」として名を連ねる。

ピーター・ビアードは、シドニー・ポラック監督『愛と哀しみの果て』の原作アイザック・ディネーセン(Isak Dinesen)著『アフリカの日々』(Out of Africa, 1937)に魅せられ、1955年以来アフリカを旅し、乱獲されるアフリカ象の屍を撮り続け、1963年にアフリカの環境激変を静かに訴える『The End of the Game, The Last Word from Paradise』というドキュメントを出版する。これが彼を「アフリカの写真家」として一躍有名にした。

70年代以降は以前メカスが「芭蕉とともに」訪ねた「世界一寂しい汀」のモントークに住み、アンディ・ウォーホル、メカスや今は亡きチャールズ・ヘンリ・フォードなどニューヨークのアーティストたちと交流し、表現の幅を広げて行く。近年では写真をコラージュしたドキュメント作品、ドローイングによる作品そして日記作品などで世界的に知られる。日本では1979年に西武美術館でピーター・ビアード映像展『楽園からの最後の咆哮』が開催された。

ポール・ボウルズ(Paul Bowles)との交遊でも知られるシュールレアリスト詩人、編集者、写真家、造形作家といったいくつもの顔を持つチャールズ・ヘンリ・フォードの作品で日本語で読めるものは、ゲイリー・パルシファー編『友人が語るポール・ボウルズ』(白水社、1994)に収められた「ポール・フレデリック・ボウルズに捧げる五つの俳句」ただ一つである。PaulBowles.orgこのページにチャールズ・ヘンリ・フォードの32歳の頃の写真が掲載されている。その注釈にはパリ時代(1930-34)、そしてボウルズの説得によるモロッコのタンジール訪問(1933)、雑誌『blues』や 『View』の編集者としてボウルズの初期作品を世に出したことなどが書かれている。チャールズ・ヘンリ・フォードその人ついては、Tout-Fait: Marcel Duchamp Studies Online journalのビデオ映像付きインタビューFrom Blues to Haikus: An interview with Charles Henri Ford(「ブルースから俳句へ」)が参考になる。