私の廃品活用芸術活動その5

人間にいいようにこき使われて、用が済んだらポイと捨てられる通称「ゴミ」と呼び捨てにされる物たちに、もし心があったなら、などと考えていたわけではないけれど、捨てるのがもったいないと思った物、でも特にこれといった用途がない行き場を失った物たちを、私は思いつきで組み合わせて造形し、気が向いたら手を加えて来た。始めてからもうそろそろ一ヶ月が経つ。

2007-03-10[生活]私の廃品活用芸術活動その1
2007-03-17[生活]私の廃品活用芸術活動その2
2007-03-18[生活]私の廃品活用芸術活動その3
2007-03-31[生活]私の廃品活用芸術活動その4

「無用の用」を追求するぞ、と思ったわけでもないけれど、結果的にそのような「道」に入り込んでしまったような気もしていて、そのせいかとりあえずそれを「祭壇」と名付けてしまいもした。その祭壇は、私の部屋の片隅の、これまたかぎりなくゴミに近いスピーカーの上で、とてもなじんでしまっている。ただ、先週はかなり安易に黄色の細切りの紙の塊を上にのっけただけだったのが、誰に対してだか、何に対してだかはよく分からないのだが、どこかちょっと後ろめたかった。

そこで今日は、まず黄色い紙の束を襟巻きのように背後から巻くようにした。そして今朝の散歩で拾った松ぼっくりをスパイラルの先端に固定した。見た目だけ考えれば、もっともっと洗練の余地はありそうだが、敢えて洗練には走らないようにしている。後ろめたくならない程度にさっと手を加えるという活動を続けるのがいいと思っている。

今日はメカスの365日映画の関係でイースターのことを色々と調べたせいか、広い意味での復活や再生を象徴する季節としての春の到来を願う心が、私にこのようなオブジェを作らせ、「祭壇」と名付けさせたのだろうかと思った。そして私がやっていることは、プライベートな「春の祭典」なのかもしれないとも思った。