メタ語りを自分に禁ずる

自己批評と言えば聞こえはいいが、余り反省しすぎるのもよくないと思っている私は、敢えてべたな言動を心がけようとするところがある。もちろん、意識としてはいつも反省しすぎのところは否めない。でも、表現レベルでは徹底的にべたで勝負しようと思っている。批評は得意な人に任せよう。役割分担。

もちろん、学生さん相手の時には、自己批評の必要性をくどいほど説きはする。もっと悩め、と言いたくなることは少なくない。逆に、そこまで自分を追いつめてどうするの?といいたくなる時もある。ケース・バイ・ケース。

自分という怪物を飼いならすこと。飼いならすもうひとりの自分を育てること。自分の分裂をコントロールすること。自分を突き放すこと。所詮、宇宙は熱死に向かっている。ねえ?情報文化論の受講生の皆さん?すべてはいずれ「冷たくなる」んだよね?ならば、せめて、今ここで生きることを祝福する以外に何ができるというのか。大学生である自分、授業に出席する自分を祝福するとはどういうことか?ちょっと考えてみて。

意外なことに、他人からみれば、何やってんの?と思われかねない「愚かなこと」を一所懸命やり続けることが、実は「今ここを祝福する」ことに繋がるんだよね。ワッ、十分にメタ語りしてしまった!