論理学入門2007 第5回 接続の論理2条件法(「ならば」)のつづき

前回は(前回も、しつこく)、論理とは何か、論理学とは何か、から始め、社会的に要求されるレベルの「論理力」をつけるためのトレーニング法、否定と連言と選言の総決算のようなド・モルガンの法則、そして条件法まで、一応やりました。これで、「神の論理学」ともいわれる現代の標準的な論理学のもっとも基本的な体系である命題論理の道具立てをすべて知ったわけです。「すべて?」。そうです。あれだけなんです。拍子抜けの感があるでしょう?ちょっと整理してみましょう。

1)否定(「でない」)
2)連言(「かつ」)
3)選言(「または」)
4)条件法(「ならば」)

の四つだけです。それぞれに、導入則と除去則がペアとしてありましたから、計八つです。それらは、命題論理という体系のなかで、否定・連言・選言・条件法がもつ意味を規定すると同時に逆に、何が「演繹的推論」なのか、を規定するものでしたね。特に、最後の条件法は、否定、連言、選言の論理法則を駆使して、演繹的に正しく言えることの大きい枠を決めるような、その意味で非常に重要なものでした。

ただし、頭の片隅に置いといてもらいたい問題が二つありました。ひとつは、排中律をめぐる神の視点か人間の視点かという問題でした。もうひとつは、「否定」ってそもそも何?という大問題でした。最近NASAが撮影に成功した宇宙に存在する謎の「暗黒物質」に似て、否定とは、かなり謎な部分を秘めています。否定の謎については、今後も折に触れて言及することになるでしょう。

今回は「実用的な意味でも押さえておくべき」(野矢茂樹『入門!論理学』p.118)、つまり役に立つ条件法(「ならば」)をもう少し詳しく見ます。まずは、条件法そのものの否定はどうなるかということです。(AならばB)の否定は日常的な感覚では単純に(AでないならばBでない)になりそうですが、実は論理的にはそうはならないという話しです。どうなるかというと、(AならばBでない)になります。一般的には次のように書けます。

「ならば」の否定:(AならばB)ではない→Aかつ(Bではない)

このすぐにはピンとこないかもしれない意味について詳しく解説します。

次に、条件法ならではの面白い関係のパターンの話しです。聞いたことがあるものもあると思います。対偶、逆、裏という「ならば」を含んだ主張の間に成り立つ関係です。先ず、「AならばB」という文に対して、「(Bでない)ならば(Aでない)」を対偶といい、前文が正しければ、それの対偶は必ず正しくなります。これはひとつの立派な論理法則(必ず成り立つ命題)です。この対偶と似ているので混乱しがちなものに、「AならばB」に対して、「(Aでない)ならば(Bでない)」という裏があります。これは必ずしも正しくならないので注意が必要です。そしてもうひとつ、「AならばB」に対して、「BならばA」を逆と言います。逆も必ずしも正しくなりません。整理します。

1)仮定:AならばB
2)対偶:(Bでない)ならば(Aでない)
3)裏:(Aでない)ならば(Bでない)
4)逆:BならばA

面白いのはこれらの間には否定を介した相互の密接な関係があるということです。すなわち、裏は逆の対偶になっているでしょう?これは逆と裏は論理的に同値(前回やった「論理的に同じ意味」ということ)だということなんです。この辺りのことを詳しく解説します。

で、最後に、条件法がいくつも組み合わさった場合に、必ず成り立つ推移律の話しをします。

推移律:AならばB、BならばC→AならばC

BがAからCへの受け渡し(媒介)役を演じているわけですね。それを省けるということです。これだけ見れば、なんだ単純じゃん、と思うかもしれませんが、もっと多くが組み合わさったり、AとかBとかCとかに、ちょっと否定が入っただけで、演繹的推論として正しいかどうかすぐには判断できない暗中模索状態に陥ること請け合いですから、これについても、詳しく解説します。

ここまでのところで、私たちは、命題論理の全体像の輪郭をなぞったことになります。どこか「空中楼閣」のような印象を受けるかもしれませんが、次回以降、命題論理の体系を踏まえたトレーニングを積むことによって、日常的な推論の曖昧さや間違いをチェックすることができるようになり、また自分で明快な議論を組み立てたりできるようにもなります。