チャン・デュク・タオ続報

kenjikienさん(id:kenjikien)から、二回にわたって驚くべきコメントをいただいた。ネット、ブログならではの僥倖である。まず6月13日「チャン・デュク・タオ(Tran Duc Thao, 1917-1993)に関するウェブ上の情報源」とmmpoloさん(id:mmpolo)とのやりとりに対して:

チャン・ドゥク・タオのことを気にかけている人が、まだ日本にいたとは感動です。私は1988年ごろ(正確な記憶がありません、その1-2年前か後ろだったかもしれません)サイゴンの病院でタオ氏にあったことがあります。まだ、彼に1960・1970年代にはどこにいたのかも聴きましたが、私の語学力の問題もあって、満足な答えはもらえませんでした。やっぱり、その点にはあまり触れ経て欲しくなかったのだろうと思います。でも、彼の”人間の意識の起源”のことについて聴くと雄弁でした。日本で翻訳が出ていることを話すと喜んでいました。その後、ベトナム人の留学生から一度、連絡があり、日本でのタオ氏の著作を訳した人(花崎孝平さん)と連絡を取りたい、とのことでした。

それから、さらに6月19日のベトナムからの留学生の情報をめぐるmmpoloさんとのやりとりに対して:

タオ氏の仕事ですが、ベトナム語Wikipediaになるように、1988年にVấn đề con người và chủ nghĩa lý luận không có con người (訳せば、人間と人間不在の理論主義の問題となるのでしょうか?内容はアルチュセール批判だそうです。)がベトナム現地で出版されていますが、現在はほとんど入手不可能なようです。私は1984年からベトナムに行っていますが、現地ではほとんど誰もタオ氏のことは知られていなかった(あるいは、知ってもしらぬふりをされていた?)と思います。むしろ、そのときは海外のベトナム人の間で共産党により粛清された知識人として、知る人ぞ知る、という感じでした。彼が多少とでも公的生活に復活したのは、ゴルバチョフペレストロイカの影響を受けたドイモイ以降ですが、それでも一部の学生・知識人の間で知られたに過ぎません。むしろ、彼が死去したあと、そして、ベトナム現地でもマルクス主義思想が形骸化した後で、ベトナムでは世界的に少しは名の知れたベトナム唯一の哲学者として突然、もてはやされたという感じです。彼は1945年ころの彼は、非常にベトナムの独立や社会主義に共感をしていたようで、それがパリから帰国した理由だと聞いています。

kenjikienさん、この場を借りて感謝申し上げます。タオに会いに行った人がいるなんて、信じられませんでした。それもパリではなくてサイゴンに。私にとってはもちろん、私以上にその知られざる消息を気にかけておられたmmpoloさんにとっても、kenjikienさんのお知らせは非常に心に響くものがあります。それと同時に少なくともウェブ上のチャン・デュク・タオに関する日本語情報として非常に貴重だと思います。共有財産です。kenjikienさんとは何者ですか?いずれ気が向いたらこっそりとでもお報せください。私はまだお会いしたことがありませんが、『言語と意識の起源』の訳者である花崎皋平さんは現在北海道の小樽市に住んでおられるはずです。タオの最後の仕事である「人間と人間不在の理論主義の問題」というアルチュセール批判の論文、なんとか手に入らないものでしょうか。ベトナム語のクオック・グーの入力もありがとうございます。