the virtue of l a z i n e s s:365Films by Jonas Mekas

ジョナス・メカスによる365日映画、7月、190日目。


Day 190: Jonas Mekas
Monday July 9th, 2007
6 min. 32 sec.

illuminating
conversations on
the subject of
l a z i n e s s
take place in
Paris and New York ---

パリとニューヨークで
行われた
『怠惰』
を主題にした
啓蒙的な会話

パリの大勢の客が集う屋外のパティーで、メカスはフランス語訛りの英語を話すアラブ系の見知らぬ若い男と見覚えのある婦人(5月17日5月18日にやはり同じパリのロケで登場した)相手に、なぜか「怠惰」について興奮気味に語り合っている。音声の状態が悪く聞き取れない箇所が多い。フランス語は操れないんだけど、怠惰(laziness)はフランス語で何て言うの、とメカスは尋ねている。婦人がノンシャラン(nonchalant)よ、と即座に答える。ある雑誌がノンシャラン特集を組んでいたよ、と嬉しそうに語るメカス。アメリカじゃ、ブルックリン以外ではありえない、等々。ちなみにフランス語ルーツの英語のnonchalantは「無頓着、無関心」の意味で、lazinessとは区別して使われる。

ニューヨークのオープン・カフェで、メカスは息子のセバスチャン、見知らぬ若い男女のカップルとイタリアのピルスナーPERONIを飲みながら、「怠惰」について語り合っている。パリのある雑誌が怠惰を特集していたんだ、凄いだろう、怠惰はアメリカでは失われた人間性なんだ、とメカスはかなり高いテンションで挑発的にまくしたてる。セバスチャンは怠惰(laziness)と聞いて、先ず働かないこと(no work)をイメージするという。若い男は怠惰lazinessのポイントは努力しないこと(no effort)さと言う。メカスは怠惰の積極的な意味、アイデアを引き出そうとしているかのようだ。若い女が、怠惰の濃さ、深さ(density of laziness)、なんて面白いことを言い出す。若い男が怠惰を退屈の観点から語り出したが、無情にも画面と音声はフェード・アウトし、一茶の句が現れた。

napped half the day;
no one
punished me!
 Issa

日本語オリジナルは、一茶発句全集に当たったかぎりでは、次の句のようだ。

今迄は
罰もあたらぬ
昼寝哉

一昨日、眠れない、とこぼしていたメカスがいた。怠惰は勤勉や努力が陥りがちなある種の病、蒙を啓く(illuminating)、もっと深く豊かな病、人間性であるとメカスは言いたそうだ。