メチキチレ族、歌声残し姿消す

今朝、朝日新聞の朝刊(7月12日)にざーっと目を通していて、ある記事が目に留った。「文明拒むインディオ、突然現れる」という見出しに、なぜか尋常ならざるものを感じた。胸騒ぎを覚えた。サンパウロの石田博士記者の報告だった。記事の冒頭を引用する。

ブラジルのアマゾンで近代文明との接触を絶っていたインディオ先住民族)の部族が突然姿を現した。関係者によると「親類を探しに来た」「開拓者とのトラブルで10人以上が殺された」などと話していたが、3日後には2曲の歌だけを残して姿を消したという。

記事の本文を要約する。

そのメチキチレ族は50年代に、文明との接触を選択した母集団ともいうべき約7千人のカイアボ族と別れ、数家族でジャングルに消えたとされる。ところが、5月末に、サンパウロの北西1600キロのカイアポ族の村カポに突然現れた。古語を話していたという。カポに現れたのは5、6家族計87人で、パラ州南部のインディオ保護区に滞在していたが、「洋服を着ている人とは暮らせない。殺されるかもしれないから」と言い残し3日後に旅立った。カポのカイアポ族は普段Tシャツやジーパン姿だという。彼らが残した歌は、一つはカイアポ族同士が近づく時の曲。もう一つはカイアポ族の人たちも聴いたことのない「低く、うねるような歌声」の曲だったという。それらはカイアポ族地域のすべての村に無線で流されたらしい。

この記事を読んだとき、即座にル・クレジオの『歌の祭り』が思い出された。3月25日に書いたように、パナマダリエン地方に住むアメリカ先住民の人々、エンベラ族およびその親族にあたるワウナナ族と5年間生活を共にしたル・クレジオは「世界の朝を救う」ために歌い、踊り、祈る部族との奇跡的な出会いを通じて、自らの文学的使命を深く再認識したのだった。

前エントリーで示唆したように、メカスは「何が、おはよう、アメリカだ!」と暗に揶揄し、ノラ・ジョーンズに同情していたが、たしかに、「アメリカの朝を救う」などという「世界の悪しき運命」に身を任せるような愚行からこそ早く目覚めて、「世界の朝を救う」ための「歌の祭り」に連携していくこと、あるいは、ソングラインアボリジニの歌の道(Songlines)に気づくことこそが急務だろう。メカスの365日映画は、メカスによる「世界の朝を救う」ための映像の祭り、映像の道なのだと気づいた。

ちなみに、日本語ウェブ上には「メチキチレ族」、「カイアボ族」の情報は存在しないようである。