HASHIさんとの再会

現在北海道を撮影旅行中のニューヨーク在住の写真家HASHIこと橋村奉臣さんご夫妻と急遽札幌で会うことになった。昨年10月東京都写真美術館での展覧会に招いてくださって、飛んで会いに行って以来、10ヶ月ぶりの再会だ。「横浜逍遥亭」の中山さん(id:taknakayama)がチャンス・メイクしてくださった出会い、ブログが実現した出会いが継続している。時の流れは早く、多くのものを過去に押し流して行く。それに抗する記憶の手段としてあらためて写真という術について思い巡らしていた。

広告写真家としてニューヨークを拠点に押しも押されもしない確固たる地位と名声を築いた橋村さんは、そのことに自足してしまわないで、日本人であることの意味を、写真を通じて、写真を介した活動を通じて、世界視野で模索し続けている。アグレッシブだ。それはライフワークとも言える一連の作品群として近い将来われわれの目にも触れることになるだろう。

YASUOMI HASHIMURA

連日のハードスケジュールの移動の疲れも省みず、今日の午後札幌に到着した橋村さんはどん欲に何かを探していた。絶妙のパートナー良子さんも好奇心旺盛で、橋村さん顔負けの写真家魂を発揮なさっていた。もうそろそろ晩飯でもという時刻だったが、私は何かを感じて、お二人を藻岩山にお連れした。頂上にある展望台に向かう蛇行する山道で、途中何度も停車して、私がいつも下界から見ている藻岩山を、藻岩山からの目を、藻岩山の目を体験していただいた。普通なら、「生憎のお天気」というところだが、お二人にとっては"very good"連発の変化に富んだ景観が次々と展開した。お二人は、私の予想を遥かに超えて、藻岩山の目を深く感じとっていらしたようだった。橋村さんのハッセルブラッドは大活躍していた。文字通りの「二人、三脚」姿も拝見することができた。


藻岩山頂上の展望台に到着したときには、濃い霧が迫っていた。札幌市の中心街はすでに雲の下に隠れていた。まもなく展望台も雲の中に入った。霧の中のお二人のツーショットを撮ることができた。


夕食を予定していた中心街へ戻る道をちょっと考えて、小林峠から盤渓峠を通って円山に抜ける道を選んだ。何か予感があった、とは後知恵でいくらでも言えることかもしれないが、実際に奇蹟に近い出来事が起こったのだった。先日、7月29日に紹介した「日本一小さなワイナリー」という愛称をもつ「ばんけい峠のワイナリー」を通りかかったら、ロッジに明かりがついているではないか。もしや、と思って、ドアのチャイムを鳴らした。二度鳴らしたが、応答はなかった。お二人はワイナリーの雰囲気をとても気に入ってくださったが、残念ながら諦めて帰りかけたとき、中からご主人の「樽人」田村修二さんが顔を出してくださった。今日はたまたまある作業のために地下でお仕事されていたのだった。私のことを覚えていてくださった。しかもこのブログに書いた感想を読まれて感謝された。「友遠方より来る」、「どうぞ、どうぞ」ということで、中に招き入れてくださった田村さんが実は驚くべき、やっぱりという経歴の持ち主だった。

田村さんは、かつて若い頃、ベトナム戦争の頃、アメリカに渡り、しかもスタンフォード大で、まさしく梅田さんのいう「シリコンバレー精神」を心底学んで来られた方だった。「フェアであること」、「組織ではなく個人を優先すること」、「いいアイデアにはお金と人が集まること」などなど、そんな風土が根付く可能性を北海道は持っているという信念に基づいて、産官学の多岐にわたる様々な活動をなさってきて、その一環として今のワイナリーがあるのだった。ちょうど同じ頃にアメリカに渡った橋村さんも体験的に共感する部分が多いこともあって、アメリカ、日本、そして北海道談義に花が咲いた。田村さん自慢のシードルで今日の「出会い」に乾杯した。


(Photo by Ryoko Akutagawa)

(Photo by Ryoko Akutagawa)
ばんけい峠のワイナリーを後にし、夕食のためにお二人をサッポロビール園にお連れした。ケッセルホールと呼ばれる大正時代に建造されたレンガ造りの工場を改装したビヤホール・レストランで、定番のジンギスカンなどを味わっていただきながら、「人生」と「出会い」に乾杯した。良子さんが、気を利かして、この出会いの生みの親である中山さんに写メールを送ってくださった。

(Photo by Ryoko Akutagawa)

いにしえのサッポロビール工場の記憶を濃厚に留める煙突を撮影する橋村さんの後ろ姿。