手の洞窟Cueva de las Manosの謎が少し解けた気がした

パタゴニア

パタゴニア

In Patagonia (Picador Books)

In Patagonia (Picador Books)

ブルース・チャトウィン(Bruce Charles Chatwin, 1940-1989)の『パタゴニア』(In Patagonia, 1977)にも登場する、南米パタゴニアに現存する世界遺産にも登録された「手の洞窟Cueva de las Manos)」を初めて見た時から、その賑やかな「ネガの手形」から人々の歓声が聴こえるような気がしていた。

(Hands at the Cuevas de las Manos upon Río Pinturas, near the town of Perito Moreno in Santa Cruz Province, Argentina. Picture taken by me in 2005. -Mariano 08:02, 12 August 2005 (UTC))

気になったのは、考古学的にはすでに定説に近いらしい次の見方だった。

手形を印すという行為は、聖地であった洞窟における成人通過儀礼であったと考えられている。
Wikipedia

しかし、私が受けた「賑やかな印象」と「成人通過儀礼」説にはあまりに開きがある。そこで改めて調べてみたところ、インターネット出版会社のalt conceptsの企画の一つであるInteresting Thing of the Dayに掲載された次の記事が目にとまった。

書き手は、パリ在住の自称「作家、コンピュータ・ギーク、料理人、夢想家」であるジョー・キゼル(Joe Kissell)。キゼルはアルト・コンセプト社の主任の一人である。

あれは古代のスプレー・ペイント、ステンシル画だよ、という彼のカジュアルな言い方に目からウロコが落ちた。私の中の「古代」の通念と「スプレー・ペイント」や「ステンシル」の「現代的」通念の間の溝に橋が架かった。そしてキゼルは最も肝心な、手が描かれた「理由」については、やや慎重に、「宗教的」な何らかのシンボルであるか、それとも恐らく通過儀礼の一部ではなかったかという考古学者の推測を引き合いに出した上で、しかし、誰だって(古代人だって)、クールなイメージのことを考えるんじゃないの、と「世俗的」な見方の必要を示唆する。これは、歓声が聴こえるような気がした私の直観と符合する。最後にキゼルは念を押すように、大事な点は、とにかく「手を描く」ということだったはずで、「神秘的」等々と語られがちなイメージは「副作用」みたいなものにすぎないと思うよ、と言う。キゼルの言い分が、〜的に「正しい」かどうかは分からないが、様々な方向に私の推理を刺激してくれる、それだけで非常に価値があると思った。

例えば、私は子供たちが自分の手形をどれだけ「かっこよく」、「クール」に描けるか、競い合っている様子が目に浮かぶ。