情報デザイン論2007 第2回 世界と物語

私の経験と考えでは、良いデザインとは、しみじみとしたり、ワクワクしたり、ドキドキしたりといった感動をもたらす広義の「造形」です。そのような感動の本質は、過去のポジティブな体験の記憶が数多く想起され、しかもそれらが初めてのやり方で劇的に結びつくことにあると考えています。そう言われると、ピンと来るものがあるのではないでしょうか。どうですか?この点で、例えば、『横浜逍遥亭』の中山さんが取り上げている、アメリカの新聞における写真や図版の情報デザインの秀逸さは、私もアメリカ滞在中に、日本の新聞との比較において痛感したものでした。そこでEmmausさん(id:Emmaus)がコメントしている「トポロジー」という観点は情報デザインにおいて、体験の記憶を呼び出す仕掛けとして非常に重要なものだと私も考えています。参考にしてください。

もちろん、ある種の記念碑のように、意図的にネガティブな体験を特別にポジティブに想起、再現させるようなデザインのことを忘れてはいけませんが。

前回はオリエンテーションとは言え、私が情報とデザインに関してずっと考えてきた、そしてつたないながら実験的に経験もしてきた途中経過的な報告も兼ねて、一気に「時間」や「死」のデザインについて触れました。それは私たちの人生が、とりもなおさず、死という特別の「終わり」を孕んだ生という過程、途上としての「時間」そのものであり、その根底的な有り様から、あらゆる種類のデザイン、情報のデザインの、いわば基本的な「構造」を皆さんの意識の隅っこにでもいいから、浮上させたかったからに他なりません。

他方では、いわゆるIT、コンピュータとネットワークの技術の進歩によって実現されつつある情報デザイン環境にも目を向け、そのいわば「もうひとつの世界」における「生き方」を、従来の世界との関係、そしてより重要な両者の統合の試みという観点からいくつかの可能な展望についても触れました。

狭義の「情報デザイン」に関する一般的な(教科書的な)知識の基本的な構成はレジュメに示した通りですが、それにつてはいずれ必要に応じて敷衍します。

今回は、空間的であると同時に時間的でもある私たちが生きる世界のグランド・デザインとでもいうべき、世界とはこういうものであると主張する「世界観」ないし「世界モデル」、そして一定の解釈を与えられた世界の中で(人)生がどのように進行するかを描いた「物語」の二つに焦点を当てながら、私たちが生きる上で最も重要な情報群がいかに編集され、一定の「形」(特定のメディアによるコミュニケーション)に落とし込まれるか、情報デザインの別の深みへと皆さんを案内します。お楽しみに。

参考サイト&ブログ:

最近の関連エントリー

これらは私が生きる土地の情報デザインの試み、素描の一環です。