反物語

メカスの映画哲学とでもいうべき考えは、世界の実在、実在世界のありのままの姿の断片を偶然に左右されながら、それが人間に許された極限的な必然性であると云わんばかりの仕草で、写すことであるように思われる。人生には学ばなければならない事が何段階かあって、まずは「物語」的な構造、その深みを知る段階、それはそれで時間がかかる段階があって、しかし、それで終りではなく、そのような「物語的深度」をうっちゃってしまうような、いわば「実在的強度」を感受する段階が控えている。

一見、無意味で表層的な映像と音声の驚くべき具体性。人を戸惑わせ、立ち止まらせる具体性。無限の具体性。今日のフィルムでも、メカスは「吃り」ながら、「無限」という言葉を何度も使っていた。特に「人間性(humanity)」の無限性を強調していた。それを抑圧する制度、装置を激しく告発しながら。なぜなら、それらは無闇に樹を剪定するような、あるいは川にダムを作るような、浅はかな抽象的な物語だからである。世界は反物語的に複雑で豊饒で美しいにもかかわらず。

無限を内蔵した複雑で豊饒で美しい物語はどのようにして可能だろうか。