夢、トチノキ、ナナカマド、セッコウボク

札幌、晴れ。青空が広がると気分が明るくなる。今朝の藻岩山(写真はこちら)も明るく見えた。

昨日の雨が坂上から運んできた土砂を掃き集めるご婦人の横を通り過ぎる。「ごくろうさま」「え?はい」落ち葉も沢山混じっている。いつものようにきょろきょろしながら歩いていて、何か引き金になったのだろう、明け方見たらしい夢が突然思い出された。不思議な夢だった。私(たち)はどこかの古い宿の和室にいる。私は一人ではないことは感じていたが、他にだれがいたのかは思い出せない。見えなかったようだ。私(たち)は部屋の隅にある仏壇を覗いている。ふと隣の部屋をみるとソファに座る詩人のYさんがいた。驚いて声をかけた。もうひと月以上も北海道に滞在していて、これからまだひと月以上滞在する予定だという。何をしているのかは聞かなかった。すると、仏壇の中が映画のスクリーンのように変容して、白い砂利道を向こうに走って行く黒っぽいセータを着た男が映っているではないか。誰だ?と思って目を凝らしていると、その男はこちらを振り返って、手を振った。驚いた。知里真志保さんだった。

トチノキ(栃の木, Japanese horse chestnut, Aesculus turbinata)の枝は先端まで太い。

ナナカマド(七竈, Japanese Rowan)の枝は細い。

昨日ビデオに撮った湧き水は今朝はかなり水量は減ったが、それでもまだ側溝に流れ込んでいた。

昨年は雪が降ってから気づいたセッコウボク(雪晃木, snow berry, Symphoricarpos albus var. laevigatus)の白い実。今年は町内のあちらこちらに存在することを知った。この一年間で私の目はすっかり変わった。昨年の今頃の三上勝生の目では全然ない。昨年は何を見ていたのだろう。何も見ていなかったに等しいのではないか。複雑な形態の植物等を見慣れたせいか、人間が作ったものの「粗」が目立つようになった。意図が見え透くというか。素敵な意図ならいいが、そうではない意図が見え透くことが多いのはストレスになるので厄介だ。