久しぶりの本屋で

久しぶりに本屋に行った。札幌駅ビル内の書店。とは言え、直接の目的は本ではなく、知人との待ち合わせのためだった。滞在時間10分ほど。でも「時間つぶし」という感覚はなかった。何か探しているのが自分でも分かる。でも何を探しているのかははっきりとはしない。短時間で浅くてもいいから広い情報をゲットしようとでもしたのか、自分でもよくわからないが、自然と雑誌コーナーに吸い寄せられた。というか単に本屋の「アーキテクチャー」に誘導されただけかもしれない。入口近くに雑誌コーナーが設けられていない本屋は少ないからね。とにかく雑誌コーナーに近づき、幾つかに分類された棚を見渡し、どの棚にしようか一瞬迷ったが、すぐにある棚の前に行き、表紙の上の一部だけをざーっと見渡したら、ある一冊が目にとまった。エスクァイア誌だった。


なんと「トラベローグ」特集だった。私の中の「トラベローグ」こそ「ライフログ」という公式がピンと反応した。ただし、日常の生活をこそ「旅」にするという意味で。表紙に並ぶ執筆者リストの最後に吉増剛造の名があった。その頁に飛んでみた。個人的な贔屓目による偏った印象かもしれないが、その頁だけ異様な光を放って見えた。恐らく吉増さん自身が撮影したカーペットの上に置かれた三冊の本と手書きの原稿用紙が写った生々しい写真のせいかもしれなかった。さすがに吉増さんは旅そのことではなく、書物を読むことの「旅性」についてボルへスの数冊を取り上げながら深く深く書いていた。驚いたのは、妻マリリアさんとの運命的な出会いを媒介したのがボルへスの翻訳だったことがさりげなく明かされていたことだった。へーっと思った。

頁をぱらぱらと捲って二度全体に目を通した。時間がないと思っていたせいか、他の長い特集記事にはなかなか入り込めなかった。ただ片岡義男が面白いことを書いている短い記事が目にとまって、思わず読んだ。旅そのものではなく、自分の存在が根底から揺らぐ経験こそが重要なんだ、という観点から「恐怖」をテーマにアメリカで毎年編まれている短編集のペーパーバックを紹介していた。そのタイトルを記憶しようとしていたら、「お待ちどうさま!」と声が掛かった。

もちろん限界は多々あるが、リアルな本屋さんの「一覧性」はやはり棄て難いと思った。背表紙や表紙の一部でも見渡せれば、獲物を狙うハンターのような「嗅覚」が働き出すから面白い。わずか10分ほどだったが、アルゼンチンとアメリカにも飛ぶ充実した「旅」をしたような気分さえした。