日記の整理という仕事

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「日記の整理」、「日記の仕事」という言葉に今更ながら驚いていた。ジョナス・メカス著『どこにもないところからの手紙』(村田郁夫訳、書肆山田、2005年)asin:4879956546の「第十の手紙 1995年1月」の中にこうある。

 毎年一月になると、わが家はささやかな荷物をまとめ、ニューヨークを離れ、カナダに近いヴァーモント州に出かける。そこは寒く、雪がたくさんある。私たちはスケートに出かける。山はもう好きじゃない。首の骨を折るかもしれない。もっとも平地なら私でも悪魔のようにヒラリ、ヒラリと舞うことができる。十三歳になったばかりのセバスチャンも平地なら舞える。

 けれども私たちが着いたのは、凍てついた草ばかりで、雪がまったくないところだった。でも奇蹟が起きて、雪が降るだろうと期待し、二日間滞在した。幸いタイプライターを持ってきたので日記の整理------戦時中と戦後の日記の仕事にとりかかった。いつの日か、誰か奇特な人がいて、出版してくれるかもしれない。

ヴァーモント州ではなかったが、365日映画の12月10日(344日目)に、一家でメイン州ドルバックにスキーに出かけたときの映像を思い出す。そのときもホテルの部屋のデスクの上にはタイプライターがあった。

日記の整理は、記憶の整理であり、人生のデータベースの終りのない構築作業みたいなものだと言えるだろうか。私も拙い日記の整理の仕事が溜まりに溜まっている。日記の整理は大事な重要な仕事であることを再認識した。