アブラハムかオデュッセウスか

*1
エマヌエリス・レヴィナス


リトアニアに生まれ、フランスに帰化したユダヤ人哲学者がいた。エマニュエル・レヴィナスEmmanuel Lévinas, 1906-1995)。ジョナス・メカスはひょんなことからエマニュエル・レヴィナスが亡くなる年、1995年にはじめてその存在を知り、彼の本を読み漁った。

メカスにレヴィナスを教えたのはマーガレット・ホプキンソンというオーストラリアの修道院のシスターだった。彼女は文部省の仕事もしていて、オーストラリアの教育制度全般の改革に携わっていた関係でニューヨークに立ち寄った際に、ある事情からメカスの家に一週間滞在することになった。そのとき交わした会話の中で、メカスがエマニュエル・レヴィナスの著作を読んだことがないことを知った彼女は呆れて諭すようにレヴィナスのことをメカスに教えたらしい。(「第十の手紙」、『どこにもないところからの手紙』128-129頁)。

「まさか、どうして知らないんです------彼女は言う------その人はリトアニア出身ですよ。ユダヤリトアニア人で、自分の名前をリトアニア語式にEmanuelis Levinas(エマヌエリス・レヴィナス)と書いていますよ」

 それから彼女は彼の哲学について話しはじめた。レヴィナスは1905年12月30日にカウナスで生まれ、カウナスのヴィークタウス・アグヌス大学を卒業し、パリに行き、そこで哲学を教えはじめたそうである。ハイデッガーフッサールの専門家として多くの著作、論文があるそうだ*2
(中略)

 マーガレット・ホプキンソンを見送ってから、私は本屋に直行した。今、私の机の上はレヴィナスの本の山である。私がいちばん面白かったのは、アブラハムオデュッセウスと対置させて書いた本だ。ご存知かもしれないが、私はいつも自分をオデュッセウスだと考え、オデュッセウスと共に歩んできた。世界を放浪した末、ついに故郷へ戻ったギリシャ人! すべてを乗り越え、まるで何事も無かったかのように、ついに帰郷する…… Perpetuum mobile(ペルペトゥム・モビーレ、恒久運動:訳者)……廻りつづける輪……雛は以前の卵にもぐり込んだ……。

 ところがアブラハムは旅立ったまま、今なお歩みつづけている。神は彼を世界に放り出した。いつか戻れるという望みすらない……帰る橋はことどとく焼き尽くされ……神は彼をつねに前へ……先の見えない、報いのない境遇へ放り出す------アブラハムは息子の首にナイフを突きつけ……毎日危険と向かい合って暮した(旧約聖書、創世記二十二章)。そして今も暮している。一方、オデュッセウスは生まれ故郷に戻り、座って、地酒を飲んでいる……神に感謝。彼の息子はロシア人すべてを追い払い、妻のペネロペは陽の当たる窓辺に座って、昔と同じように夫の靴下を編んだり、繕っている……女性解放の集会は八時に始まるので、まだ時間には余裕がある……。

 ああ、なんとレヴィナスは興味深い考察をしたことか。

 私たちリトアニア人は自分たちの過去に縋りついている。もう過去から解き放たれても良い時だ。風は前方に向かって吹いている。風は私たちの船を、後方へではなく、前方に運んでいる。私は結論した。リトアニア人にはオデュッセウスよりもアブラハムのほうが受け入れやすく、面白い、と。かつて仏陀が、弟子たちに説いたごとく、危険を伴わなぬ物理現象はない……。

 ああ、ユダヤ人たち。私はときどき自分がユダヤ人でないことを残念に思う。だが誰が知ろう------リトアニア人がどこからやって来たか、いまだ何人も発見してはいない------もしいつか私たち皆がユダヤ人だということが証明されたなら、私たちはいったい何と言うだろか?ああ!
(「第十の手紙」、『どこにもないところからの手紙』129-131頁)

レヴィナス=メカスは次のような選択肢(AかBか)の間で揺れ動いているように見える。

A:ギリシャ人=オデュッセウス=放浪の末の帰郷
B:ユダヤ人=アブラハム=永遠の流浪


ジャック・デリダ「暴力と形而上学」、『差異とエクリチュール・上』299頁より


ジャック・デリダ「暴力と形而上学」、『差異とエクリチュール・上』355頁より

ところで、フランスにはレヴィナスの思想を批判的に論じたジャック・デリダJacques Derrida, 1930-2004)という哲学者がいた。アルジェリア出身でやはりユダヤ系だった。デリダは「暴力と形而上学*3という長大な論文の最後でこう書いた。

われわれは「ユダヤ人」であろうか? それとも「ギリシャ人」であろうか? われわれは「ユダヤ人」と「ギリシャ人」の差異のなかに生きている。この差異こそがおそらく、歴史[出来事-叙述]と呼ばれるものの統一的根源なのである。われわれは差異のなかに、差異によって生きている。つまりレヴィナスが「たんに偶発的な、人間のあさましい瑕疵であるばかりか、同時に哲学者にも預言者にも結びついている一つの世界の深い裁ち切れ」と根本をついているあの欺瞞のなかに生きているのである。

われわれは「ユダヤ人」なのであろうか? 「ギリシャ人」なのであろうか? だがわれわれ、とは何者なのか? われわれはまず「ユダヤ人」なのか? それともまず「ギリシャ人」なのか(時間的先後を詮議しているのではない。論理以前の問いである)? (中略)このような問いを提起する言語はいかなる平和の地平に属するのであろうか? この言語はその問いのエネルギーをどこから引き出してくるのであろうか? この言語によって、ユダヤ思想とギリシャ思想の、差異におけるつながりが判明するのであろうか? 現代小説家のうちでたぶんもっともヘーゲル的な作家の言葉、「ユダヤギリシャ人はギリシャユダヤ人。極端同士の出会いだ(Jewgreek is greekjew. Extremes meet.)」*4における繋辞の正当性はどのようなもので、その意味はなんであろうか?(298-299頁)

つまり、AかBかを問題にする「われわれ」が属する場所ならぬ場所としての「差異」こそが問題であるとデリダは示唆した。

デリダの示唆をよそに、メカスは正に帰郷不可能な流浪の只中で、そのような「われわれ」に「友(friends)」と呼びかけ続け、そのような「差異」のなかに生き続けてきて、「差異におけるつながり」、「極端同士の出会い」の場としての「故郷」の可能性をその類例のない「映画」と生き様の中で示し続けてきたように思われる。

*1:『どこにもないところからの手紙』94頁の写真より

*2:やや事実誤認がある。実際にはパリに行く前に、ストラスブール大学に留学した。そこでモーリス・ブランショと出会っている。

*3:『差異とエクリチュール』(法政大学出版局、1977年)所収

*4:デリダによる原注(79)ジェイムズ・ジョイスユリシーズ』だが、レヴィナスユリシーズが好きではないし、(中略)レヴィナスはしばしば、ユリシーズに対して批判の矛先を向けている。「イタケーに帰るユリシーズの神話に対しては、未知の土地を求めて永久に祖国を離れ、従者に向かって自分の息子を祖国に連れ帰ることを禁じるアブラハムの話をとりあげたい」(「他人の痕跡」、『実存の発見』法政大学出版局、1996年所収)。