昨日、西欧思想のかなり深いところに控えている選択肢(AかBか)の話を書いた。
A:オデュッセウス(ギリシャ人)=帰郷派
B:アブラハム(ユダヤ人)=流浪派
実は、偶然、simpleAでは似たような選択肢が話題になっていた。「分譲か賃貸か」。
A:分譲派
B:賃貸派
金城さんは、この選択肢が実は「まともな」(自由な)選択肢になっていない、結局は「住宅ローン誘導」モデルじゃないか、ということを嗅ぎ付けて、そこからの「逃走の線」の見本を引いてみせようとする。曰く、「極・賃貸派」のラインだ。極道のように響かなくもないところが、なかなか素敵だ。「逃走」とはいうまでもなく「闘争」である。