鈴木一誌氏がブック・デザインを手がけた『英文日本大事典 Japan:An Illustrated Encyclopedia』(講談社、1993年)は、日本に関して英語で書かれた二千ページにおよぶ百科事典である。実はこれは、鈴木氏が『シカゴ・マニュアル』との初めてのしかもいきなりの深い出会いによって出来上がった記念碑的労作である。というのは、鈴木氏によれば、三年がかりの制作は、『シカゴ・マニュアル』の組版ルールを遵守する多くの英語圏の編集者たちとの共同作業であったからである。鈴木氏は『シカゴ・マニュアル』の組版ルールとの闘いのような対話を続けながら、『英文日本百科事典』をデザインしたわけだ。彼らと意見が食い違ったときの体験を振り返って鈴木氏はこう述べている。
(『シカゴ・マニュアル』の)組版が文化として迫ってくるのを感じていた。
(『言葉と力』159頁)
そんな百科事典を見ないわけにはいかないと思って、図書館に駆けつけた。素人ながら、その組版にはシンプルで洗練された印象を受けた。
芥川龍之介のポートレイトが心霊写真のようで面白い
ただ、人物の生没年の表記法がちょっと「浮いている」ように見えた。存命中の人物の生年表記の半角ダッシュの右にスペースが入っているのにもちょっと引っかかった。
吉本隆明の項目
解説本文の先頭に括弧付きの生年表記がポツンと置かれている。これはかなり異例な組み方ではないかと感じた。一般には本文も人名から始まり、それに続けて括弧付きの生年を置く。その方が収まりがいい、というか安定して見えるからである。しかし、それでは情報的にくり返すことになり、その冗長さを避ける判断が下されたのだろうと推測する。
関連して、半角ダッシュについて、『シカゴ・マニュアル』(The Chicago Manual of Style 15th edition)で確認してみたところ、下のようにやはり基本的には半角ダッシュの右側にはスペースを入れないのが基本ルールである。
このあたりには、『シカゴ・マニュアル』を向こうに回した鈴木氏のデザイン思想上の決断の痕跡が感じられる。あるいは、私には窺い知れないもっと複雑な判断が働いているのだろうか。鈴木氏に尋ねてみたい。ついでながら、日本語表記も私には「浮いている」ように感じられる。