明治二十年代、そして

最近二人の専門家から学んだ深く関連する興味深いことが二つある。二つともある重要な意味でウェブやブログにも関係すると感じている。

  1. デザインとはあくまで「情報を公開する技術」である(主に鈴木一誌著『ページと力』から)
  2. 今日の日本語の文体と組版の直接のルーツは明治二十年代の文藝書にある(主に府川充男著『印刷史/タイポグラフィの視軸』から)

ページと力―手わざ、そしてデジタル・デザイン

ページと力―手わざ、そしてデジタル・デザイン

印刷史/タイポグラフィの視軸―府川充男電子聚珍版

印刷史/タイポグラフィの視軸―府川充男電子聚珍版

二人とも印刷物が専門なので、ウェブやブログのことなど念頭にないと思うが、私にとっては両者の洞察は正にウェブやブログでこそこれから活かされるべきだと直観した。今後ますます情報を公開する技術としてのデザインが問われるものこそウェブでありブログであり、また日本語の文体と組版の新たな地平が切り拓かれうるのもウェブやブログではないか。私は秘かにそう感じているし、実際にその兆候を目にすることもある。とはいえ、そんなに楽観的ではないが。

1.の重要性、意味合いについては、「私」と「公」の関係の問題を軸に、いずれ改めて書くつもり。

2.に関しては先ずは次のような細かな具体的事実がとても興味深い。

文章語尾の「である」体も「です・ます」体も「だ」体も、明治二十年代に出現して徐々に広まったものである。同時に、今日大抵の日本人が当然と思っている句読点の遣分けや段落行頭の全角一倍字下げ等は、欧文組版におけるカンマとピリオドの遣分けや段落行頭のインデンションの近代日本版としてこのとき初めて大量に現れた新奇な組版のモードに外ならなかったし、括弧・パーレン類、クエスチョン・マーク(?)やエクスクラメーション・マーク(!)を初めとする約物(記号)類が文中に使用され始めたのもこの時分であった。これらの「新奇なモード」は、昭和に入っても新聞の報道頁には殆ど遣われなかった如く、短い期間で一般化・常識化したわけでは決してない(なお念のために触れておくが、長音の棒引表記や拗促音の右寄せ表記は幕末の洋学受容過程に淵源する)。(『印刷史/タイポグラフィの視軸』110頁)

そして何より次の言葉が著者の意図を超えて「未来」を照らし出していると感じた。

「作家が同時に組版フォーマットの設計者であり新文体の提唱者でもある」という驚くべき時代が日本の明治二十年代であった。(同上、109頁〜110頁)

というのも、数十年後には、この引用文の「作家」を「ブロガー」に、「明治二十年代」を「平成10年代」か「平成20年代」に入れ替えた文が歴史的事実を表すことになるかもしれないじゃないか、と思ったわけです。これだけじゃ、まったく説得力はないけど。そんな予感がするということで。