府川充男の杉浦康平評

1994年に府川充男杉浦康平の仕事をこう評した。

70年代以降の組版技法における例外的に優れた達成としては杉浦康平のいくつかの仕事がある(もとより杉浦による新しいエディトリアル・デザインのスタイルと発想の提唱は”グラフィズム”ないし情報編輯全般に相渉るものであって、タイポグラフィという射影面からのパースペクティヴな視角では一面的に過ぎる嫌いを否めまい。以下の条はそれを承知の上で記しておくことだ。)
思い起こす––横組で本文書体がモトヤ楷書、14Qを一律2歯詰めて12歯送り、リーダーはたしか四点リーダー––1970年代の末ころ池袋パルコで行われた「アジアの仮面展」のパンフレットでこの仕様による本文組版を目にしたときの衝撃が忘れ難い。書体の選定およびそれと一体化した組み方、見たこともない本文組版の表情がなんとも新鮮だった。これを最初に思いつくところが凄い。この時期、杉浦の影響下にさまざまな新しい技法が試みられている。御大杉浦を初めとして中垣信夫、羽良多平吉鈴木一誌、辻修平、戸田ツトム、赤崎正一、日下潤一らエディトリアル畑のブック・デザイナーがその担い手であり、最後尾に私なぞのいわゆる「精密組版派」もいた。(『組版原論』355頁)

やっぱりそうかと思った。杉浦康平の仕事は最初から「組版/タイポグラフィ」を超えていた。府川氏のいう「”グラフィズム”ないし情報編輯全般に相渉る」「エディトリアル・デザイン」がその前提ないし背景にある。

それは詰まるところ、文字という形のルーツをどこまで遠く、深く遡るかということだと思う。その答えはとりあえず「声」という視覚的には捉え切れない見えない形であると思う。時間的な形と言えるだろうか。だから「音楽」にも深く関係するし、「舞踏」にも深く関係する。言い換えれば、「視覚」に特化した文字表象を、本来の全感覚的な、共感覚的な(?)地平で再構築することが賭けられているのだろう。

ちなみに、それから10年後の2003年にその時のことを思い出しながら、府川充男はこう書いている。

大見出しは大日本の40ポイント明朝の清刷か。中見出しは新聞特大明朝体、本文は山田博人が設計したモトヤ楷書対(MNL)。杉浦の、この書体による組版について私はこう書いたことがある。

(ここで上の赤部分が引用される)

71頁の図は横組ではなく縦組だが、題材ともマッチした書体の選定が素晴らしい効果を挙げていることがお分かりだろうか。(『組版/タイポグラフィの廻廊』73–74頁)


「71頁の図」季刊『銀花』41号(文化出版局、1980年)より