以前記録した謎の祠を再び訪ねた。川に沿った未舗装の行き止まりの道を途中まで登るとそれは見えてくる。川の向こう岸に建つかなり傷んだように見える祠。以前と同様、祠に続く道は見つからなかった。川を渡るしかない。
まずは結構急な斜面を下りなければいけない。体重をかけすぎるとボロボロと崩れる斜面をなんとかバランスをとりながら、途中からは駆け下りて、川岸に降り立った。
清らかな水が流れる小川だ。水の流れる音が心に滲みる。川はひとっ飛びで渡れる幅だ。苔の生えた大きな石に足をかけて、滑らないことを確かめてから一気に向こう岸に幅跳びして渡った。
今度は急な斜面を登らなければならない。崖の上に建つ祠を見上げる。登るコースの見当をつけた。そのとき思いがけず淡い紫の美しい花が目に飛び込んできた。シラネアオイ(白根葵、Glaucidium palmatum)だった*1。ちょっと不思議な気持ちになった。
斜面をよじ登り切って、ちょうど祠のすぐ横に出た。正面に回ってみると、観音開きの扉の片方が少し開いていた。何も見えなかった。心の中で挨拶をしてから、思い切って両方の扉を開けた。すると、なんと、空っぽだった。埃を被った小箱だけが放置されていた。もう何年も人がここを訪ねた形跡も気配もなかった。記録らきしものも何も見当たらなかった。
ところが、祠から離れた瞬間、視界の左側に何かが映った。え!「馬頭大神」という文字が目に飛び込んできた。比較的新しい碑だ。回り込んで背後を見ると、「昭和56年11月29日建立」とあった。前回記録したように、そこから一キロも離れていない場所で発見した「馬頭神社」を思い出した。
頭の中で何本かの糸がもつれていた。何かが見え隠れしている。すっきりとはしないまま、空っぽの祠と馬頭大神を後にした。
その前に採石されて死んだ山を見晴るかした。再び斜面を下り、川を飛び越え、斜面をよじ登ろうとしたら、白い花が目に留まった。ニリンソウ(二輪草, Anemone flaccida)だった。花弁が5枚、6枚、7枚のものまであった。
***
帰宅後、念のため「馬頭大神」で検索してみたら、驚いたことに、「南区の碑ホームページ」に次のような記述があった。前回の私の推理は間違っていなかった。
馬頭大神(碑)
中ノ沢の中村牧場にある碑。同牧場で飼っていた7頭の馬の慰霊のために昭和56年(1981年)11月に建立。かたわらに、水の神である白竜神の祠がある。碑の裏面に、建立者の名が刻まれている。
「馬頭大神」の謎は解けた。「中村牧場?」そうか、遠くに見えた家は中村さんの家なのか。でもその辺り一帯は「牧場」には見えなかったなあ。それにしても、肝腎の祠はなぜ空っぽなのだろう。「水の神である白竜神」はどこに引っ越したのだろう。そう言えば、登ってきた道の行き止まりにはこれまた不思議な神社が建っていたのだった。「布袋神社」という。
昨年の秋に北海道に遊びにきた中山さん(id:taknakayama)を、日本一小さなワイナリー、盤渓峠のワイナリーにお連れする途中に立ち寄ったことを思い出した。「布袋?神社?」建物自体はそんなに古くは見えない。もしかしたら、「白竜神」は布袋神社に引っ越したのではないか。念のため「布袋神社」も検索してみたら、やはり「南区のホームページ」内に次のような記述があった。
中の沢布袋神社
中ノ沢1985番地にある神社。昭和29年(1954年)9月に米谷ナルに八意思兼神(やごころおもいかねのかみ)が授かり守護神として奉斎。昭和36年小祠を設け布袋大神を奉祀したのに始まる。昭和43年、天照大神ほか2神を合祀。祭神は、天照大神、布袋大神、亀水竜神(きすいりゅうじん)、水掛不動明王。境内に無縁碑(昭和52年)がある。
賑やかなコンテンツの神社だ。「亀水竜神」がちょっとひっかかるが、「白竜神」との直接のつながりは見えない。もしかしたら、「白竜神」を表す何かが置いてあったはずだというのは私の偏見で、実は初めから「空っぽ」だったのだろうか、という考えも浮かんだ。「祠」そのものの存在が「白竜神」を祀っているということか...。
*1:花に見えるのは実は花弁ではなく萼片らしい。