色の世界


タンポポ公園のエゾノコリンゴ(蝦夷の小林檎, Malus baccata var. mandshurica)は全体が見事にピンクの蕾みに覆われた。一昨年たくさん実をつけ、野鳥たちの響宴の場所になった樹だが、昨年はほとんど実を付けなかった。今年は一昨年の再現となりそうだ。

最近、朝の散歩では同じ被写体をカラーとモノクロームの両方で撮って、その違いについてつらつら考えたりしている。モノクローム写真の「深度」というか、「形」が際立つところ、そして「光」を純粋に感じられるところが好きだ。もちろん、モノクロームの写真をしばらく見た後で、カラー写真を見た瞬間に世界が一気に華やかになる、その時の興奮も好きだ。



エゾノコリンゴの隣にはイチョウ(銀杏, Ginkgo)の樹が天に向かって枝を勢いよく直線的に伸ばしている。若葉を出し始めたところだが、見上げた瞬間に見て取っている像はモノクロームの写真に写っている像に近い気がする。天にすーっと伸びてゆく姿。


いつもよく見ずに通り過ぎていた空き地の灌木に、今朝はかすかなひっかかりを感じた。これをご覧の多くの方には実感できないことかもしれないが、赤緑色弱の私には全体が緑色の濃淡にしか見えていなかった。しかし濃く見える部分に目が留った。

カメラでズームアップしてみたら、なんと真っ赤なボケ(木瓜, Flowering Quince, Chaenomeles speciosa)の花が咲いているではないか。近寄ると区別できる。しかし遠くからだと、赤が緑に吸収されてしまうらしい。

とはいえ、だから自分の一種のハンディキャップを嘆いているわけでは全然ない。Emmausさんも書いていたように、

あの画家のゴッホ色弱だったらしいし、「ないものによって更に違うものが見えてくるんですよ。その良さってあるわけで素直にとても大切ですね。」には同感である。実際に、その分、「形」への敏感さが知らないうちに育ったような気がしないでもない。もしかしたら、それが「真性活字中毒者」の素養の下地になっているのかもしれない。