私の町内芸術活動

私のつたない理解によれば、アートとは世界の自滅的あるいは破壊的動向に抗する終わりなき創造の戦いである。(カッコよすぎる。)

毎朝私は町内の多くのもの、動植物、人間たちに会う。世界中の人たちが毎日自分の住む町で、たった30分でいいから、私のように過ごすようになったら、世界はきっと良くなるはずだと確信している。(大きな勘違い。)

今朝も、私は戦った。



あっ、やっぱり、倒れている。




ここまで、こなごなにする必要ないだろー。


なんか、祭壇めいてきた。向かいのコンビニの駐車場の車の中からおばさんが怪訝な表情でこちらを見ているのに気づいた。ちょっと恥ずかしい。

案の定、昨日まではなんとか無事だったサフラン公園入口のシナノキ(科の木, Japanese Linden, Tilia japonica)の折れた枝のアートは、今朝になって、無惨に破壊されていた。執拗なほどに破壊されていた。一瞬、怒りの感情が芽生えたが、すぐにそれを抑え込んで、私は、しょーがねーなー、とか呟きながら、気づいたら、鼻歌を歌いながら、散乱した枝を拾い集めて、ひとつひとつ再び幹に立てかけた。物理的時間にして、わずか数分。しかし、心の中では長い時間が流れていた。色んなことを考えた。私がたまたま見つけた折れ枝を持ち主の幹に立てかけただけのものが、町内という世界の鏡になって、ある影を写し出した、とか。一応元通りに近い状態に再生したところで、記念撮影したのだが、なんだか、祭壇のように見えてきて、自分のやっていることがちょっと恥ずかしく思えた。しかし、いやいや、これでいいのだ。そして、そのシナノキに固く誓った。明日また破壊されていたら、また造ってやるからな。こうして、私の町内芸術活動は続くのであった。