はじまりのシンプルに到達するまでのNotシンプル

とにかく吐き出せるだけ吐き出すように、その日あったことを書きまくる、記録するなんて意識はなかった、ということを続けた一年があった。そうしなければ、眠れなかったし、そうすることが生き延びることのように感じられていた。今から思うと、それはうまく記憶に落とすというか、美崎薫さんの言い方に倣えば「ワーキングメモリを解放する」、「頭を軽くする」という止むに止まれぬ衝動的な行動だったように思う。その「記録」(複雑)の大半は今もって「きれいな物語」(シンプル)にはなれずにある。

「きれいに忘れること」なんて書くのは、きれいに忘れられないことが圧倒的に多いから。でも、きれいに忘れたい。きれいに忘れられた状態の解放感がシンプルな目標。でも、でも、そこに至る過程は悪戦苦闘、暗中模索。

金ちゃんは「1. はじまりのシンプルと2. おわりのNotシンプル」について書いているけれど、

私が思うに、人生では「はじまりのシンプル」に到達するまでの「Notシンプル」(複雑)をうまく捌くのが実はとても大変。でも、それをちゃんと引き受けることが自分の人生を生きるってことで、他人に頼っちゃいけないよね。世界がどう変わろうが、ビジネスは人生の一環だけど、人生=ビジネスじゃないからね。その差し引きプラスαについてオープンに語り合いたいな。それ以外はたかが(されど?)「技術論」って感じがするから。