笑う理由

レポート採点のゴールが見えてきた頃、体がむずむずしだして、久しぶりに夕方の散歩に出た。珍しく風太郎も一緒に行くと言う(言わないが、言うに等しい態度を見せる)ので連れて行った。朝の散歩の三分の一ほどの距離をゆっくりゆっくり歩く。朝とは全く違う時間が流れているのを感じる。夕餉の匂いがどこからともなく漂ってくる。山に帰るカラスたちの鳴き声が聴こえる。一羽のアオサギ(蒼鷺, Grey Heron, Ardea cinerea) が原生林の方に飛んで行く。

トウモロコシの生長具合をチェックしながら、畑の前を通り過ぎようとしたとき、突然前方から「コンニチワー」という若い女性のけっこう大きな声がこの私を目がけて矢のように飛んで来た。驚いた。まだ爽やかな笑顔もマスターしていない宮崎駿似の爺に声をかける若い女性は一体誰だ?と思って声の方を見やると、そこには乳母車を押す見覚えのある女性がいた。ああ、彼女だ!すぐに分かった。朝の散歩で知り合った気さくな若夫婦の奥さんの方だった。しばらく会っていなかった。最後に会ったのは初産まもなくの頃で、そのうち赤ちゃんの顔を拝ませてもらう約束をしたのだった。女の子。Kちゃん。泣きべそだという。その若い母親は会うたびいつも満面の笑顔で接してくれる。とても気持ちがいい。爺の汚れきった心を浄化し、冷たくなった心を暖かく溶かしてくれるような笑顔だ。彼女はKちゃんをしっかりと守り育てることだろう。世間話をする間、私は笑顔だったろうか。自信がない。記憶にない。

アメリカにいる頃、集合写真を撮るたびに、「マサオ、スマイル!」と言われたことを思い出す。自分では微笑んでいるつもりなのに、それでは駄目だ、ちゃんと笑って!とよく言われた。要するに、あちらでは歯を見せなければ、笑っていることにならないのだった。その頃は、日本人はこれでいいんだ、と我を張っていたが、最近思うことがあって、方針を改めた。ちゃんと歯を見せて笑うようにしようと。大げさに言うなら、私を含めた日本の年配の男たちの魅力の無さの原因はいろいろあるけれど、その中でも大きな原因のひとつはいつも口を屁の字に結んで、苦虫潰した表情をしていることが多いということだ。要するに、幼い精神の故である。おこちゃまなのだ。爺はそんなおこちゃまのままではいたくない。ちゃんと歯を見せて笑える大人の勇気と配慮を発揮できるようになりたい。そう思うのだった。あっ、日本梨(Nashi Pear, Pyrus pyrifolia var. culta)が落ちている。