昨日レポートの採点を終え、春学期の成績の提出も終えて、後は11日締め切りの仕事を終えれば夏休みという身の上である。その最後の仕事にもメドがたった時、ふと本棚の一冊の本が気になって手に取り、ぱらぱらと捲っていた。開き癖のついた見開きの、トンボ色鉛筆のバーミリオンで棒線を引いた箇所が目に飛び込んで来た。
先日、金城さん(id:simpleA)と訪ねた二風谷を2005年の冬に初めて北海道にやって来たル・クレジオも訪ねている。まだ萱野茂さんが存命の頃だった。私が当たり前だと思っている世界の現実の大半は失われた多くのものを覆い隠している。そんな直観が私をル・クレジオに引き寄せる。彼こそ、西欧文明によって失われた世界を言葉によって再生させようとしてきた先達の一人だからだ。彼が二風谷でなにを見たかは知らない。おそらく私たちが見たものを見たろうと思う。
それにしても、私はまだまだ故赤塚不二夫のように泣きながら笑っているような顔で「それでいいのだ」とは言えない。シンプルに笑うことさえぎこちない。泣きながら笑い続けたとんでもない人が逝った。私もいつかそんな境地に達することができるだろうか。心許ない。自信がない。
私にとって、それが最初で最後のくじ運のよさを経験したのは、たしか小学校低学年の頃だった。毎週楽しみにしていた『少年サンデー』の読者プレゼントに応募したら、「おそ松くん」のソノシート(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%8E%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%88)が当ったのだった。天に舞うような気持ちだったのを覚えている。自分や相手の「お粗末さ」を「それでいいのだ」と認め合う心の大切さをこっそりと伝えるメッセージを私はたしかに聴き取っていたはずなのに、それからの数十年間、私は「それではいけない」を口癖のように生きて来たような気がする。反省。