歩くこと自体を楽しむようになると、まるで足が眼になったような、あるいは足で世界を見ているような感覚が芽生えてくるから不思議である。足の眼が脳に合図を送ると、脳が手に指令を送り、カメラのシャッターを切る。そんな一連の無意識の動きが少しずつ身に付いてくる。しかし常識は、そんなものを撮っても仕方ないと囁く。いっそのこと眼を瞑って歩いて写真を撮りたくなる。盲目の写真家ユジャン・バフチャルを思い出す。
辺境の歩行の達人、鶴見良行さんはこう書いていた。
眼と足がつながっているように、手と頭は連動している
(鶴見良行『フィールドノート』より。「豆本51 北海道開拓記念館 第151回テーマ展 鶴見良行、東南アジア・北海道を歩く」27頁)
私の実感としては、しかしながら、眼と頭は陰で共犯関係にあり、足と手を裏切っている。私としては足と手の連帯を訴えたい気分である。