幻想黄河紀行


五輪通(西野真駒内清田線)

風太郎が体調を崩してからは、朝の散歩の距離がずいぶんと短くなった。こりゃまずいと思った。今の私にとっての唯一と言っていい運動の量が減って、このままだとメタボ黄色信号が点滅しかねない。ちょっと淋しいけど一人で散歩する時間を作ることにした。歩きながら写真を撮る楽しい時間を確保するためでもある。夜のウォーキングはさぼり気味である。

ある日のこと、家を出て、特に目的もなく藻岩山の方に向かって歩き出した。20分くらいで中の沢川にかかる「川沿くるみ橋」(たしかに、橋の袂にクルミの樹があった。写真にも葉が写っている。)を通過し、五輪通を渡って5分も行かないうちに北の沢川に出た。2号橋の欄干にもたれて川を眺めた。水量は非常に少なく、川床はセイタカアワダチソウの黄色の花と緑に覆われていた。水は端っこをちょろちょろと流れる程度に過ぎない。全体の印象はまるで、黄色い川、黄河だ。

中国の本物の黄河は見たことがないので実感は湧かないが、黄砂で濁った大量の水が向こう岸が見えないほどの幅の川床を滔々(とうとう)と流れているのだろう。そんな大雑把なイメージが頭の中に出来上がっている。世界地理の教科書や地図帳やテレビの映像などの断片的情報から勝手に作り上げたイメージだろう。そんな黄河のイメージでは、黄は「色」というより水の「濁り」として感じられている。

北の沢川は文字通り黄「色」の川だった。2号橋の欄干にもたれて川を眺め続けた。セイタカアワダチソウの咲き乱れる黄色の花の群れが流れていくように見えた。黄色い花を運ぶ幻想の川を見た。「黄」という言葉が目の前の黄色の川の映像に濁った黄河のイメージを引き寄せ、重ねる。あと数日で、せいぜい数週間で、黄色い花は「流れ去る」。ハッと我に返った。ちょろちょろと流れる小川は清流と言っていいほど澄んで綺麗だった。