記憶、その沈黙の川を遡って


この文章を書いていて、窓の外がふと明るくなったと思ったら、外灯が灯った瞬間だった。

記憶はとんでもない蘇り方をすることがあって、それは無意識をも手懐けようとする記憶使いの美崎薫さんなら「発見」と呼ぶのだろうが、例えばこんなことがあった。

十年ぶりくらいに『螺旋歌』(asin:4309006310)を繙いていて、十年くらい前に将棋の世界である意味で行き詰まった羽生善治さんが、柳瀬尚紀さんの計らいで、吉増剛造さんに会ったときに、羽生さんが中学生くらいの時にラジオから聴こえて来た吉増さんのある詩の朗読が深く印象に残っていて...という話をしたときのことを思い出していた。その詩は『螺旋歌』にも収められた「わたしの旅は光が射す場所を求めての旅なのだ」ではないかと、羽生さんの「心の滾(たぎ)り」という言葉から連想していた。


『螺旋歌』320頁

「わたしの旅は光が射す場所を求めての旅なのだ」を十年ぶりくらいに読みすすめていて、そのなかに、リルケの「仏陀」が引用と呼ぶには大人しすぎる、思わず異言語移植とでも呼びたくなる所作で据え置かれていることに初めて驚いていた。翻訳という観念すら噛み砕いて、日本語?とドイツ語?の間を歩いて行く人影が見えるような、そんな言語の裸の光? 音? に触れていたのかもしれない。

もっと驚いたのは「能登の木の駅舎と消えた裸電球の幽かな残り火」のイメージが「(ブエノス・アイレスの)トランプの裏のような薔薇色の雑貨店」のイメージに飛び火する箇所で明記された「(ホルヘ・ルイス・ボルヘス「ブエノス・アイレスの神話的創世」田村さと子さん訳、『ラテンアメリカ詩集』土曜美術社、asin:4886252346)」の「田村さと子さん」のことだった。

すっかり忘れていた。『南へ』

手が覚えていたとしか言いようのない偶然で開いた別の詩篇「チ、チェン、イッ、ツァ------マヤと歩いて行った影と影」に、あの中上健次が激賞した田村さと子さんの『南へ------わたしが出会ったラテンアメリカの詩人たち』(六興出版、)が引用されていたのだった。吉増剛造さんに「ラテンアメリカ発見の目」をもたらしたという、チリの詩人ガブリエラ・ミストラルの「深い『あわれな目』」、今はもう沈黙してしまったかにみえる文明の「沈黙の言語」であると同時に「自分のなかの沈黙の言葉」にも通じている「深い、沈黙の、唖の川の、目」の「ひかり」が射しているという詩も引用されていたのだった。

田村さと子さんのラテンアメリカ文学(ことにチリの詩人ガブリエラ・ミストラル)との出逢いの旅の途上に、吉増剛造さんは自分のラテンアメリカとの出逢いの旅の途上を重ねる。

 ちいさな南米の地図がおかれ、……、田村さんの文章はこんなふうにしてはじまっていた。わたしがここを読んだのは、読みすすめはじめたのは、アマゾンと、黒河(Rio Negro)がまじわる、いや、まじわらずにしばらく二色の川として、並流する、港湾都市マナウス(Manaus)だった。わたしも地図で読んで、アマゾンや黒河(Rio Negro)の源流、アンデスの山奥(山の背、……)を視界に入れていたような気がします。これらの河も、かつては別の名の、いや名のない大河であったはずで、そう考えることによって、河底の響きはふかくなるのだと気がつき、わたしもまた旅の途上にあった。

 私(田村さと子さん)は、チリの詩人ガブリエラ・ミストラル(1889年〜1957年)の詩を原語スペイン語で読み、詩の舞台を歩くこと、生前の彼女の秘書であったニルダ・ニューネスをボリビアの首都ラ・パスに訪ねることを目的とした二年越しの旅の途中だった。メキシコで机と辞書と原書と向き合ってきゅうきゅうとした生活を送ってきた私が、自分に許した唯一の贅沢、それは、北はコロンビアから南はチリまで約九千キロにわたって横臥する、ラテンアメリカの人々の地理的・精神的バックボーンともいえるアンデス山脈に、バスと汽車を乗りついで踏み入り、そのアンデスに生き死にするインディオたちの文化的抵抗の都市であったマチュピチュの遺跡に立ち寄るという道草であった。

 唖の川の流れに<時>が戻り、慈悲の祭壇への踏み台である
 クスコの台地にまで
 届く音がきこえる
 地下深くおまえは口笛を吹く
 琥珀色した人々に

 ミストラルは「アメリカ大陸に捧げるオード」の中でこのように書いている。ヨーロッパ人たちがやってきて、アンデスの神々は地下に潜んでしまった。インディオたちは地下に潜む神々の再生をいまも信じている、といわれる。
 伝え語られるケチュア語の詩の中には、

 見えないか
 クスコの町が
 涙をこぼしているのが
 パチャクティの葬儀で

という一節がある。

(297頁〜298頁)

この夏知り合った田中さん(id:pho)の一連のペルー紀行に、そしてペルーに旅した田中さんという人間に惹かれたのには、こんな記憶の伏線があったことを今知り驚いていた。田中さんがクスコの酒屋で買って来てくれたpiscoというお酒を飲めなかった悔しさがいつまでも尾を引く理由も今さらながら分かった気がした。

翻って、そう言えば、オーストラリアのシドニーに出張中の坂東さん(id:keitabando)はどこかでアボリジニの「目には見えない道」に触れるだろうか。