ナンビクワラ族の運命

朝日新聞の夕刊で9月29日からひっそりとある連載が始まった。サンパウロ在住の石田博士記者によるものである。


「悲しき熱帯」を歩く

石田博士さんと言えば、あの、昨年の夏にブラジルのアマゾンで近代文明との接触を断っていたインディオの一部族メチキチレ族の消息に関する驚くべき報告を書いた人である。それに震撼させられて書いた一連のエントリーはこちら。

今回の連載は、近代文明、消費文化に翻弄されるナンビクワラ族に関する報告である。フランスの文化人類学者、クロード・レヴィ=ストロースが70年前、1938年に訪れ、後に『悲しき熱帯』(1955年)のなかで、詩的といってもいい感受性で描写したナンビクワラ族の集落を、石田博士さんは『悲しき熱帯』をガイドにして訪れた。連載第1回目の末尾で、レヴィ=ストロースを継承する石田さんの問題意識が控えめに語られている。

 彼らは、今も砂地に身を横たえ、冷え込む夜更けだけに家族で身を寄せ合う。「人間の優しさの、最も感動的で最も真実な表現である何かを、人はそこに感じ取る」と描写されたのと同じ光景だ。
 満天の星空の下で響く歌声は、聖歌にも似た神々しさを帯びていた。

 「世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう」。今年100歳を迎えるレビストロースは半世紀前、自著『悲しき熱帯』で文明社会の「進歩」に疑念を呈した。人口爆発と環境破壊がさらに進む今、名著を手に、文明の波に洗われるナンビクワラ族の集落を訪れた。
(森の部族に迫る「進歩」)

連載は今日で4回目。4回分のタイトルはこうである。

1森の部族に迫る「進歩」
2進む開発 消えた野生
3近づく文明、遠い共生
4世界激変 しきたり崩壊

4回目の最後に引用されている、ナンビクワラ族の伝統的な指導者で絶対的な権力を持つ「カシケ」と呼ばれる首長が語る言葉がナンビクワラ族の運命を予兆しているように感じた。

 「若者たちはしきたりを学ぶのを嫌がる。私たちの部族の精神性は、一体どうなるんだろう」。首長のジャイメ(48)はそう言って、しかめ面になった。

連載はまだ続く。

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些細なことかもしれないが、気になったのは、この連載記事におけるLévi-Straussのカタカナ表記である。石田さんは「レビストロース」と表記している。欧米語でハイフンでつながれた名前を日本語のカタカナではどう表記するかに関しては組版上の一定のルールは確立しておらず、各分野の慣用に従うとされている(『標準 校正必携 第七版』262頁)。Lévi-Straussの著作の邦訳書では、「レヴィ=ストロース」のように全角等号が使われてきたようだ。表紙の表題ではデザイン上半角等号が使われた例がある。また、ウェブ上では全角と半角の等号の他にも中黒やつなぎ記号なしが混在している。検索上は「レヴィ」と「ストロース」が入っていれば、繋ぎ記号が変化してもほぼ同数ヒットする。繋ぎ記号なしの例は案の定桁違いに少く、「レビストロース」は例外的である。

全角:レヴィ=ストロース 121,000件
半角:レヴィ=ストロース 120,000件
中黒:レヴィ・ストロース 125,000件
なし:レヴィストロース 14,400件
なし:レビストロース 854件
(グーグルによる検索例)