自分の身は自分で護る

望来(もうらい)の丘を縦断する道の半ばで、日本海を撮影するために停車した時に、こんなことがあった。ハヤカーさん(id:hayakar)は車から降りたかと思う間もなく、崖っぷちに向かってズンズン歩いていった。そして切り立った断崖の縁に立ち、写真を撮り、しばらく大洋を眺めていた。私は灰色の海が絹のように柔らかく波打ち、岸辺で白波を立てる様子をビデオ撮影しながら彼に近づいた。断崖を見下ろしていた彼は振り向いて嬉しそうに「不謹慎な」ことをサラリと言ってのけた。思わず受けた。

「柵がないのがいいですね。落ちる奴が馬鹿ということで...」

蛇足。これはハヤカーさんの膨大な映画的記憶から引用された意図的な科白(せりふ)では決してありません。意図的な言動ではない、何気ない言動から、その人の生き様、生きる流儀のようなものがしみじみと伝わってくる瞬間があるわけなんですね。こればっかりは、実際に会わないことには、出会えない瞬間かもしれませんですね。不図(ふと)、出てくるものですから。「イヤー、実はあれはあの映画のあの場面で〜が言った科白で......」なんて、くれぐれも応えないでね。