追悼、加藤周一

このブログではいままで加藤周一については一度だけ、しかも間接的にしか触れたことがない。(意外だった。)

今一番手に入れたいと思っている本は、与謝野晶子(1878-1942)の『心の遠景』(日本評論社、昭和3年)である。これは装幀が加藤周一の先輩の木下杢太郎で、表紙・函とも多色摺木版画装。丸背上製本・貼函入という魅力的な本で、日本の古本屋では二万円以上の値がついている。……

 別の宇宙が忍び来て Akiko YOSANO

大学生の頃、日本文学の通史や文芸・思想を中心とする評論をむさぼり読んだ。クリーム色のフランス風の装幀の著作集も一冊ずつ購入しては読んで大切にしていたが、その後他の多くの本といっしょに手放してしまった。今手元には加藤周一の本は一冊もない。比較的最近では新聞の連載コラムを読む程度でしかなかった。けれども、記憶のなかには彼の書く文章を貫いている「筋」のようなものの感触がはっきりと残っている。

朝日新聞の追悼記事の中に、浅田彰氏の簡潔な追悼文が寄せられていた。戦前・戦中の日本が情緒に流されたことへの反省から、論理的であることを貫いたいわば最後の正統派知識人としての見事な生涯だったという内容だった。歴史的にはサルトルを想起しないわけにはいかない「正統派知識人」という言葉、加藤周一の日本の言論界における位置取りを簡潔に見事に表わす「論理的」という言葉に感慨をおぼえた。

今振り返ってみて、加藤周一から学んだことは、日本(人)をできるだけ遠くから、つまりは可能な限り普遍的な視点から見る、語ることであったような気がする。手に入れられなかった与謝野晶子の『心の遠景』に言寄せて、加藤周一の名前を出したのは、「心の遠景」という表現が喚起するビジョンが、そのような加藤周一の遠方からの視線に通じるものを直観したからだったに違いない。その遠方に彼も逝ってしまった。