「嵯峨本」の連綿体活字はたしかにある意味で美しい。手書きでも、整版*2でもない。木で作った活字による印刷である。「嵯峨本」は日本における活字印刷による出版事業のはじまりとされる。そんなビジネスが始まった場所は京都の嵯峨、時代は慶長、元和年間(17世紀前半)。始めたのは角倉素案(すみのくらそあん)。海外貿易や土木事業で財をなした角倉了以(りょうい)の子。協力したのは書家の本阿弥光悦と経師の紙師宗二の二人。今風に言えば、ビジネスマンとアーティストと職人の共同事業だった。
グラフィックデザイナーの永原康史氏は「嵯峨本」についてこう語っている。
美しい料紙装飾と造本が目をひく嵯峨本だが、もうひとつ大きな特徴がある。活字印刷されていることである。嵯峨本に用いられた活字は木製の連綿体活字(連刻木活字)で、光悦が書いた版下を木版に起こし、版木を切って活字をつくったと考えられている。実物が残っていないので正確にはわからないが、左右幅はそれぞれ等しく、天地は一定のピッチをもって整数倍でつくられていた。植字は、枠内に直接活字を並べるグーテンベルク方式だったと思われる。文芸ものは半葉(一ページ)におおよそ九行、十六から十七字詰めで組まれておりピッチが不揃いなものもある。一方、謡本(うたひぼん)は七行十三字でピッチが揃っている。ちなみにピッチは約十五ミリで、これはいわゆる文字サイズにあたる。行数は少ないのは行間に節付を組むからである。一字一活字を全角として、連綿の場合は二字で二倍、三字で三倍というように整数倍でつくられる。一字で二倍、二字で全角、三字で二倍、あるいは四字で五倍など変則のものもあり、実際の行あたりの文字数はこれによって動く。
整数倍の中でゆらぎをもたせる工夫があるとはいえ、均等字送りや箱組(ジャスティファイ)*3はひらがなの性質に合わない。枠にはめなければならない活字組版の技術的制約によるものと思っていたが、活字以前の整版による版本でも、ピッチは揃っていないが、箱組になっているものがある。さすがに写本の時代には少ないが、それでも皆無というわけではない。単に端まで書いて折り返しているだけなのかもしれないが、気になるところである。
均等字送りや、連綿をその整数倍でおさめるのは組版上の制約なのだが、それが逆に、ひらがなの特徴であるくずしやゆらぎに数理的なリズムをあたえ、連綿体活字独特の美しさをつくっている。『日本語のデザイン』(asin:4568502438)60頁〜61頁
たしかに「独特の美しさ」はあるが、それと同時に身悶えしているような「苦しさ」も感じる。一見、流れるような連綿体だが、永原氏に倣って(61頁)、実は均等ピッチで組まれたことが分かるように、グリッドを入れてみた。
上の赤で囲んだ三行の連綿体活字の模式図
こうしてみると、永原氏の指摘とは反対に、「くずし」や「ゆらぎ」といったひらがな本来の動勢・動態が「数理的なリズム」に押し籠められている様が見てとれる。
もちろん、永原氏も語るように、連綿体はそのままでは現代に蘇るわけがない。
近代に入って活字はまだ「日本語の文字」をあらわしたことがない。だからといって、連綿体を復活させてももはや読むこともかなわない。文字や文字組による新しい和様の表現は生まれるだろうか。振り返ってみても、文字を含めて書くことの変化はゆっくりだ。時間をかけて見つけたいと思う。
同128頁
しかし、美しいと同時に苦しげな連綿体活字の姿は、「日本語の文字」の将来を展望したり、「文字や文字組による新しい和様の表現」を模索する上で、大きな里程標であることに変わりはない。デジタル・メディアにおける未来の「嵯峨本」はどんな共同作業によって日本語をどうデザインすることになるのだろうか。
(続く)
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*1:永原康史氏が『日本語のデザイン』(60頁〜61頁)で取り上げた「同じ」『冨士太鼓』とは一部活字が異なっている。
*2:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E7%89%88%E5%8D%B0%E5%88%B7
*3:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%B6%E3%82%89%E4%B8%8B%E3%81%92%E7%B5%84%E3%81%BF